ブログトップ

ブックラバー宣言

syunpo.exblog.jp

カテゴリ:書評( 4 )

面白い本を面白く紹介した面白い本〜『お釈迦さま以外はみんなバカ』

●高橋源一郎著『お釈迦さま以外はみんなバカ』/集英社インターナショナル/2018年6月発行

b0072887_18253020.jpg 本書は、高橋源一郎がパーソナリティを務めるNHKのラジオ番組『すっぴん!』のワンコーナー「源ちゃんのゲンダイ国語」での話をもとに書籍化したものである。

 本を書く人は基本的に本を読む人でもある。作家でもあり読書家でもある源ちゃんがハンティングしてきた面白本から、思わず膝を打つ表現や笑える言葉を拾い出してくる。面白い本をさらに面白おかしく紹介するのだから、面白い本には違いない。

 有名ラブホテルのスタッフであるらしい上野さんが主人公のマンガ『ラブホの上野さん』。ホテルにやってきたカップルに関して含蓄のある意見をいうのが可笑しい。故伊丹十三が若き日に記した『ヨーロッパ退屈日記』の、今となっては牧歌的ともいえるスノビズムが醸し出す滑稽味!

 野村順一の『私の好きな色500』では源ちゃんは色の名前に着目する。ある会社が開発した色鉛筆の名前が、なんとも詩的というかワケがわからない。「子供の頃の茜雲」「ナイチンゲールの歌声」「ジェラシー」「鹿鳴館の舞踏会」「たぬきの鼓笛隊」「ためらい」「神話の中の悲哀」「山東省の田舎道」……これ、全部の色の名前。

『忙しい現代人のための 2秒で読める世界クイック名作集』は企画力の勝利といえる本かもしれない。世界の名作が本当に(ほぼ)二秒で読めるほどに圧縮されているのだ。
 たとえば「桃太郎」。包丁をもったおじいさんとおばあさんが巨大な桃の前にたたずんでいる。おじいさんが桃に包丁を入れる。桃が割れる。中では桃太郎が鬼の首を絞めている。お終い。

 バカの語源は何か。もともと僧侶の隠語で、「痴」を意味するサンスクリットの「モハー」に漢字「莫迦」を当てたというものらしい。「莫」は否定の意味であり、「迦」はお釈迦さまの「迦」である。つまり「バカ」=「お釈迦さまではない」ということらしい。これは玄侑宗久の『さすらいの仏教語』に書かれている解説である。

 ……などなど、思わず手にとりたくなるような本が次から次へと登場する。大半が私の読んでいない本で、まだまだ私の知らない世界が果てしなく広がっていることを実感させられる。かろうじて一冊だけこのブログでも取り上げた本が出てきた。エラ・フランシス・サンダースの『翻訳できない世界のことば』
 フリートークがベースになっているので、当然ながら文章も軽快なタッチ。肩の凝らない愉しい本といっておこう。
[PR]
by syunpo | 2018-08-16 18:29 | 書評 | Comments(0)

書物を読みながら、走りながら、考えたこと〜『時局発言!』

●上野千鶴子著『時局発言! 読書の現場から』/WAVE出版/2017年2月発行

b0072887_1214758.jpg 本書は上野千鶴子が毎日新聞や熊本日日新聞などの読書欄に発表したコラムを書籍化したものである。通常の書評とは違って「同じ主題のもとに複数の本をまとめて論じるというスタイル」を採っているのが特徴。主題によっては上野自身が学者という立場を超えてアクターとして運動に関与している場合もあるので、アクチュアルな「時局発言」的な内容を含むものとなった。

 そんなわけで「書物を読みながら、走りながら、書いた」という文章がテーマ別に七つの章に括られ収録されている。〈社会を変える〉〈戦争を記憶する〉〈3・11以降〉〈格差社会のなかのジェンダー〉〈結婚・性・家族はどこへ?〉〈障・老・病・異の探求〉〈ことばと文化のゆくえ〉。

 何よりもブックガイドとして有益であると思う。民主主義について、憲法について、原発について、格差社会について、結婚について、介護について、……様々な角度から様々な人々の活動に目を配りながら、道標となりそうな書物を提示している。

 3・11の経験から語りおこして、マリー・キュリーの次女エーヴ・キュリーが著した『キュリー夫人伝』を紹介し、小林エリカの小説『マダム・キュリーと朝食を』や『光の子ども』へと話を展開したり。
 斎藤環の『オープン・ダイアローグ』を取り上げて「終わりのないオープンエンドのプロセス」と指摘したあとに、ハーバーマスの熟議民主主義を想起したり。

「自殺稀少地域」を調査した本として岡檀の『生き心地の良い町』に言及しているのも興味深い。自殺稀少地域の特徴は「もともと移住者の多い地域であること、いろんなひとがいて、つながりがゆるく、集団同調性が低く、好奇心は強いが飽きっぽい……などの発見を疫学的エビデンスとこくめいなフィールドワークから明らかにしていく」というのだ。読んでみたくなる批評文である。

 フェミニズムに関しては、盟友・岡野八代の著作を紹介している一文が印象に残った。近代リベラリズムの個人観は「個人的なことは個人的である」だったが、フェミニズムは「個人的なことは政治的である」という命題に言い換えた。そのように言明して、そうした文脈で岡野の『フェミニズムの政治学』を賞賛する。その理論的貢献は「公的領域」のジェンダー中立性神話を崩すことにあったという。

 あるいは岸政彦の『断片的なものの社会学』。「現実は『解釈されることがら』よりも、もっと豊かであることに、あらためて気づかせてくれる」と評してその読書の快楽へといざなう。そして社会学者としての心構えを再確認するのだ。

 社会学者とは、自分のなかよりも他人のなかに謎があると感じて、そのもとへ赴くおせっかいな職業だ。膨大な資料や記述を目の前にして、「で。それで?」という問いに立ちすくむ。だからむりやりつじつまを合わせるのだけれど、つじつまの合わないことがたくさんとりこぼされることを覚えていなければならない。そして自分が書いたものよりももっとたくさんの書かなかったことを、覚えておこうと思う。(p192)

 このほか加藤周一の著作をめぐる随想や「石牟礼道子、ことばの世界遺産」と題したコラムも素晴らしい。先頃、中日新聞に発表したインタビュー記事が批判を浴びたのは未だ記憶に新しいが、本書に関しては知に関する良き水先案内の書として意義深い本であるといっておこう。
[PR]
by syunpo | 2017-03-25 12:03 | 書評 | Comments(0)

ベストセラーを斬りまくる!〜『百年の誤読』

●岡野宏文、豊崎由美著『百年の誤読』/ぴあ/2004年11月発行

b0072887_21585459.jpg 二人の書評家が一九〇〇年から現代(二〇〇四年)までのベストセラーを読み、対論形式で寸評を加えていくという本である。難癖のつけ方が人生幸朗・生恵幸子のボヤキ漫才を思い出させもする、ざっくばらんな物言いはそれなりに痛快。
 長塚節の『土』は「悪夢のディズニーランド」(豊崎)とコキおろされ、武者小路実篤『友情』は「頭よくない」作家による「トンデモ本」(豊崎)、高村光太郎の『智恵子抄』は繰り返しの多さから「コピー&ペースト詩」(岡野)の烙印が押される。

 時代が下るにしたがって駄本が増えてくることに今さらながら嘆息せずにはいられないが、多くの読書家が読まずにくだらないと一蹴してきたタレント本などもきちんと読んだうえでメッタ斬りにする、その熱意と労力には頭がさがる。

 読解のクオリティーでは奥泉光・いとうせいこうの《文芸漫談》シリーズには遠く及ばないものの、二〇世紀前半の名作・秀作に対する関心をあらためて呼び起こしてくれることは事実。ガルシア・マルケスの代表作をパロった書名も秀逸だ。なお本書は二〇〇八年に筑摩書房により文庫化されている。
[PR]
by syunpo | 2013-11-05 22:03 | 書評 | Comments(0)

気ままな戯れとしての〜『人間を守る読書』

●四方田犬彦著『人間を守る読書』/文藝春秋/2007年9月発行

b0072887_1010991.jpg ブックレビューのブログでブックレビューの新書を紹介するというのも屋上屋を架すようなものでいささか気が引けるのだが、面白いので取り上げることにした。
 これは、四方田犬彦が「読みなおすに値すると思った本」をクロード・レヴィ=ストロースの「料理の三角形」に倣い「生のもの」「火を通したもの」「発酵したもの」の三つのカテゴリーに括って紹介したブックガイドである。さらに巻末に「読むことのアニマのための100冊」と題する簡潔なレビューが添えられている。

 「生のもの」で取り上げられているのは、若松孝二の『時効なし。』、重信房子の歌集『ジャスミンを銃口に』、ジョー・サッコや岡崎京子、岡田史子の漫画作品など多岐に渡っているのだが(これは続く二章でも同じ)、もう一つ注目されるのは、本来なら「火を通したもの」にでも分類されそうな思想家のエドワード・W・サイードとジャック・デリダが章の頭と結びに配置されている点だ。彼らのアクチュアリティに重きをおいて「生のもの」として推奨しているところに四方田の炯眼が存するというべきか。

 「火を通したもの」では、吉田健一や平岡正明らこれまでの四方田本ではおなじみの批評家に加え、笠原和夫『映画はヤクザなり』、山口猛『映画俳優 安藤昇』など著者の専門分野からやや意表をついたリストアップがなされていて興味深い。また岡田節人の『生物学の旅』を評して「ジャン・ルノワールの自伝を読み終えたときのような、ある爽快さを感じた」と表現するあたりがいかにも四方田的なのである。

 「発酵したもの」は、岩波文庫に収められているマルクス・アウレーリスの『自省録』で始まり、ダンテ『神曲』、クロード・レヴィ=ストロース『神話論理』などを吟味して、世阿弥の『風姿花伝』で締めくくられる。今橋理子の『江戸の動物画』と『手塚治虫のディズニー漫画』とを並べて論じるというのも他の著者にはちょっと思いつかない芸当だろう。

 全編を読み通してみて、世の中にはまだまだ自分の知らない書物がたくさん唸りをあげて書棚で待っていてくれるのだなぁ、という当たり前の事実をあらためて実感させられた次第。
 テレビでおなじみの某評論家が朝日新書から出した退屈な新書ブックガイドとは、モノが違います。

 書物を読むということは現実の体験なのです。体験の代替物ではありません。そしてそれ以上に、体験に枠組みと深さを与え、次なる体験へと導いてくれる何かなのです。(p15)
[PR]
by syunpo | 2008-10-10 10:32 | 書評 | Comments(0)