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わかりやすさに潜む危うさ〜『脳科学の真実』

●坂井克之著『脳科学の真実』/河出書房新社/2009年10月発行

b0072887_10235724.jpg 本書は科学の名のもとに提唱されている「脳トレーニング」「ゲーム脳」など昨今の皮相的な「脳科学」ブームに警鐘を鳴らすものである。著者は、自称・脳科学者による一般書の多くは問題が多い、脳科学の実験データを自説展開に都合良く利用しているだけで内容的には人生訓や処世術に脳科学の意匠をくっつけただけの似非科学であるなどと繰り返し批判している。

 認知神経科学を専攻する著者の立場からすれば、脳と心の関係はわからないことだらけで、「脳科学者」がメディア上で主張しているような命題にははっきりと実証されていないものが少なくない。また脳科学はそう簡単に日常社会に応用できるものでもない、という。

 本書における脳科学風言説への批判はたしかに説得力を感じさせるものだ。にもかかわらず今日の脳科学風言説は真実らしさの衣をまとって人びとに広く受け入れられている。その危なっかしいブームを支えている要因は何か。
 ……ある研究結果の一面のみを捉えて大仰に紹介する単純で過大なマスコミ記事とそれに迎合するような「脳科学者」の振る舞い。研究現場におけるプロジェクトの有用性アピール合戦を加速させる研究費獲得競争の激化。……無論、こうした社会状況は何も「脳科学」分野にだけあてはまる問題ではない。興味深いのは何といっても脳科学という学問が独自に孕みもつ問題への言及だ。

 ……(分子細胞生物学などの研究成果と比べて)脳と心の関係についてはその詳細なメカニズムを明らかにしたと言える研究はそれほど多くはありません。これは「脳」という物質を実験対象としていながら、その目的は「心」という捉えどころのないものの成り立ちを明らかにするという、科学としてかなり無理な設定に伴う必然的な帰結といえるでしょう。あるいは「心」を目的とすることで避けては通れなくなった要素還元の到達レベルの限界と言えるかもしれません。(p169)

 脳を考えるのも脳にほかならない、という自己言及的なサイエンスの困難。その困難と向き合うことにこそ脳科学の醍醐味があるのでは、と私などは思うのだが、そうした基礎的学問に対する社会の要求がより具体的なものへと変化してきたのも事実であろう。ありていにいえば、あらゆる科学に対して実社会への応用や還元を求める気運が高まってきたのである。そしてその波は当然「脳科学」の領域にも押し寄せてきた。その波にちゃっかり便乗する科学者もあらわれた。かくして今日のお手軽な「脳科学」ブームが到来した。

 科学のおもしろさは、知的な意味でのおもしろさだと思います。そこにはなんの誇張も脚色もなく、またその実情は単純明快さとは程遠いところにあるがゆえにおもしろいのではないでしょうか。情報発信のあるべき形とは、実際の科学研究をありのままに紹介することではないでしょうか。(p207〜208)

 坂井が結論的に述べている見解には奇を衒ったところは微塵もなく、あたりまえゆえに誠実さを感じさせるものだと思う。

 ただ、本書の叙述スタイルには疑問がなくはない。
 おそらくは編集者かゴーストライター相手に語った内容を文字に起こしたものだろう、繰り返しや重複が多く、推敲の不足を感じさせる粗雑な構成といい、ところどころで顔をのぞかせる弛緩した語り口といい、いささかお手軽につくりあげた本といった雰囲気は否めない。もし著者自身が最初から執筆した原稿ならば、学者としての文章力・構成力に疑問符がつく。いずれにせよマスメディアで活躍する疑似科学者に対して批判的なスタンスをとっている著者であるならば、もう少し精緻な本づくりを目指してほしかった。
by syunpo | 2010-04-29 10:30 | 脳科学 | Trackback | Comments(0)

男の世界〜『こころ』

●夏目漱石著『こころ』/新潮社/2004年3月発行(文庫改版版)

b0072887_948404.jpg Kは友人に裏切られた形で自殺する。恋敵だった友人を死なせてしまったことで罪悪感に呵まれる「先生」は、十数年の後、Kの後を追うように自殺する。『こころ』もまた漱石の主要テーマである三角関係の問題に触れられている。

 それにしても、ここに描かれてあるのはいかにも「男の世界」という感じがする。
 主人公「先生」の陰に籠った恋の駆け引きの丹念な描写に比べると、肝心の女性──「御嬢さん=奥さん」の存在感の希薄さはどうだろう。Kが自殺する真因も「先生」が死ぬ理由も彼女には認識されず、ただ「先生」を慕う語り手の「私」のみが「先生」の暗い過去を知るのである。

 「私」が、これといって世間的の活動をしていない「先生」に何故魅かれることになったのか、「私」と「先生」の関係が今一つよくわからないのだが、島田雅彦はそこに「同性愛」的なものを読み取っている。巷にあふれる漱石論・『こころ』論のなかでも最もスリリングな読みの一つではないかと思う。

 「先生」の意識の中では三角関係から奥さんを排除し、男同士の関係を組織しているのだ。異性愛の物語を書きながら、そこには同性愛の感情が隠されているのである。……

 ……男だけの世界で悲劇を完結させるために「私」は選ばれたのである。……
(島田雅彦『漱石を書く』p154〜155)


 「先生」はすぐれて個人的な理由で死んでしまう。明治知識人の懊悩だとか高等遊民の苦悩だとかいうのはバカげている。まして「先生」が「明治の精神」を体現していたなどというのはつまらない冗談でしかないだろう。
 私には『こころ』がさほどの傑作には思えない。が、島田のような読みを可能ならしめてしまうところに漱石の面白味や奥深さがあるのだと思う。
by syunpo | 2010-04-27 09:59 | 文学(夏目漱石) | Trackback | Comments(2)

生物学から神を追放した〜『ダーウィンの思想』

●内井惣七著『ダーウィンの思想』/岩波書店/2009年8月発行

b0072887_1859328.jpg 動物とヒトとを連続的に捉えるダーウィンの進化論は、当然ながらそれまで西欧世界を支配してきたキリスト教神学とは相容れないものであった。ダーウィンが自説を公に主張することの困難や精神的重圧は、二一世紀の非キリスト教国に生きる私たちの想像以上のものがあったことだろう。
 とはいえ、ダーウィンの思想は彼の独創というわけでは、もちろんない。ダーウィン以前の、あるいは同時代の少なからぬ学説に影響を受けたことはよく知られている。またダーウィンの思想が後世の人びとの考え方に多大なる影響を与えたことはいうまでもない。自然科学のみならず社会科学との相互連関もよく指摘されてきたところである。本書は現代の科学哲学の立場からあらためてダーウィンの思想を読み解こうととするものである。

 ライエルの地質学原理、ラマルクの転成説、ウォレスの進化論のほかヒュームの経験論哲学、ミルの功利主義……などなどダーウィンの考え方と関連をもった学説や原理は数多い。本書ではそれらとの関係を説きながら、ダーウィンと他の進化論学説とを分かつ決定的な要素であるダーウィンの「分岐の原理」についても多くの紙幅が割かれている。
 ダーウィンのオリジナル・テクストは必ずしも論旨がきちんと整理されているわけではなく難解であるため、著者独自の読解をまじえつつ展開される平明な記述はダーウィン思想の入門的理解としてもそれなりに役立つ。

 内井のダーウィン解釈の特色の一つは最終章で叙述されている進化論と道徳との関連を掘り下げて考察している点にあるだろう。著者の言葉をそのまま引用すれば、ダーウィンの真骨頂は「人間の尊厳や道徳性を、いとも簡単に自然界に投げ戻して」考えた姿勢に見出せるのである。
 ダーウィンは「人間と高等哺乳類との間には、心的能力において根本的な違いはない」と主張した。したがって「人間のみが言語能力をもつ」「人間のみに信仰心が備わっている」というような命題に対しては論駁を試みた。つまり人間以外の高等動物にも「社会的本能」が備わっていて、仲間との交わりを好み、時には利他的な行動もみせるのである。

 社会を快適と感じる感覚が動物でまず発達し、その結果彼らは社会的生活に入る。社会生活を快く感じるという社会的本能は子が親のもとで長く生活することから発達する。こうした発達を促すのは自然淘汰である、すなわち社会生活を快適と感じる個体はいろいろな危険から逃れて生き延びる確率が高くなるからである。……以上がダーウィンの主唱した考え方であった。
 ダーウィンのそうした説は、のちの動物行動学や進化生物学、進化ゲーム理論などにおいて裏付けられ、肉付けされることとなった。たとえばリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』もその一つといえる。

 新書ということで一般読者を意識しすぎたのか、いささか緊張感を欠いたくだけた文体がところどころで安っぽい雰囲気を醸し出しているが、ダーウィンの進化論を科学思想史的な文脈で理解するには格好の本といえるだろう。
by syunpo | 2010-04-19 19:18 | 科学哲学 | Trackback | Comments(0)

流転の人生が紡ぎ出した哲学〜『エリック・ホッファー自伝』

●エリック・ホッファー著『エリック・ホッファー自伝』(中本義彦訳)/作品社/2002年6月発行

b0072887_1102816.jpg エリック・ホッファーは、二〇世紀の米国が生んだ異色の社会哲学者である。
 一九〇七年、ニューヨーク生まれ。五歳になる前に本を読むことをおぼえたが、七歳のとき失明し同じ年に母親をなくした。十五歳のときに突然視力を回復、再び失明する前にできるだけ読書しておこうと思った、という。三年後に父親を失い、天涯孤独の身に。カリフォルニア州で様々な仕事にたずさわりながら公立図書館に通い、やはり読書に没頭する。
 二十八歳のとき「今年の終わりに死のうが、十年後に死のうが、いったい何が違うというのか」という思いにとらわれ自殺をはかるが未遂に終わる。その後の十年間を季節労働者として過ごし、第二次世界大戦に米国が参戦したのを機に「国のために役立ちたい」と考えてサンフランシスコに向かう。そこで沖仲仕として働きながら著作活動を始める。六十五歳で沖仲仕の仕事を引退し、以後、執筆に専念。一九八三年、八十歳で他界する。

 ……以上のような経歴をもつホッファーは、正規の学校教育を一切受けていない。すべての学問的素養を独学で身につけた。社会哲学者として世に知られた後には、カリフォルニア大学バークレー校の教授たちやハンナ・アーレントとも親交を結んだ。日本でもその大半の著作が翻訳されていて、同じような職歴をもった作家・中上健次がホッファーに強い共感を抱いていたことはよく知られている。

 私がエリック・ホッファーの名を知ったのは一九七二年に邦訳が出版された『現代という時代の気質』を読んだときであった。手元にある本をみると二刷版なので、私が読んだのは一九八〇年代後半頃だっただろう。その時の印象はすっかり忘れてしまった。今あらためてざっと読み返してみると、記述の粗雑さがやたらと目につく。とくに、社会改革に情熱を傾ける人びとに対して「少年のような考えかたや行動」と非難の目を向け、もっぱらその情熱のありかを「少年性」に帰すような心理的で大雑把な分析には賛同しがたい。

 けれども最晩年に執筆され死後に刊行された本書における叙述は、いささか異なった感触を私に与えずにはおかない。とりわけ労働者として各地を転々としていた時期に出会った人々をいささか醒めた目で、しかし人間としての温かい息吹をも感じさせながら回想していく筆致は、さながら珠玉の短編小説集を読むような味わいがある。
 バークレーで出会った美しい女子学生ヘレンとの幸福な日々。綿花畑で出会い、いっしょに貨物列車に跳び乗った後、屋根から転落して死んでしまったアンスレーとの思い出。神を崇拝しながらアルコール依存症に苦しんでいた羊飼いアブナーのこと……。

 ホッファーはみずからを社会の最底辺に置きながら多くの「社会的不適応者」と交わって思索を重ねた。その過程も結果も体系的な形で残されることはなく、アフォリズム的な言葉となって結晶した。本書においてもまたいくつもの挿話を簡潔に連ねていきながら自身の半生をあとづけている。ホッファーが苦労の末に著述家としての地位を築き始めた頃の記述に乏しいのが少し残念な気もするけれど、名状しがたい不思議な魅力を湛えた書物には違いない。

 自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。(p52)
by syunpo | 2010-04-16 11:03 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

自然の中の「ヒト」の学〜『文化人類学とわたし』

●川田順造著『文化人類学とわたし』/青土社/2007年12月発行

b0072887_18431285.jpg 「文化人類学とは何か」という単刀直入の問いから本書は始まる。すぐさま、それは何よりもまず私自身に対する問いである、と付け加えられる。タイトルが『文化人類学とわたし』となっている所以を読者の多くは読み始めてまもなく了解することだろう。

 文化人類学が日本の大学で教えられるようになったのは、意外と最近で一九五〇年代の後半からだという。川田はその「純粋培養」された最初期の一人であった。米国の総合人類学の考え方に基づき導入された人類学課程だったが、その実態はごった煮のようであったらしい。著者が籍を置いた東京大学での教授陣は、先史考古学、言語学など様々な分野から集められていた。

 川田は柳田国男の主導した民俗学との関係も含めて常に人類学への懐疑や自己点検の意識を抱き続けていた、といってよい。そのなかで方法論的にも内容的にもみずからの学問を鍛えあげてきたのである。
 川田は文化人類学の特徴として、マイナーな文化への関心、非実学的な性格などをあげている。前者の問題意識は定量的観察よりも定性的観察を重視する姿勢につながり、後者の立場からは「特殊・専門家された諸科学の後に来る、それらのディシプリン・サイエンスにより広い視野を提供するメタ・サイエンスという性格」が導かれる。

 とはいえ、川田は人類学が常に現実社会と関わりをもつことも力説している。毎年のように海外の研究者や学生たちとともに靖国神社に出向いて「フィールド・ワーク」したり、無形文化遺産の保護や世界遺産の修復活動に関わったり、文化産業の多様性保護条約についても発言を繰り返しているのは、その具体的実践ともいえる。

 また人類を「自然の中のヒト」という視点から俯瞰して、他の動植物との関係を考える「種間倫理」の提起は、人類学の立場から西洋伝来の「創世記パラダイム」や「人間中心主義」を相対化するものだ。これを宇宙論的に延長していけば、昨今松井孝典が提唱している「知求学」の問題意識とも共振するのではないかと思う。

 ちなみに、文化人類学者のあいだでは「文化」をいかように定義しているのだろうか。
 文化の定義自体が文化に依存する以上、複数の文化人類学者のあいだで、共通の定義に達することからして不可能だと思われる、と川田はいう。
 川田自身は「他者からの影響を通じて得られるものも含み、だが本能に基づく要素も含む、ヒトの営みの総体」を広義の「文化」としたうえで、より狭義の「文化」を「ある地域のヒト集団に程度の差はあれ共有されている」ものとして「民俗」という用語で再定義を試みる。

 その叙述に接した後に、昨今の川田の江戸下町近代史と自分史を重ね合わせた仕事などをみると、柳田国男とも近しいところに立っているのではないかと思わせられる。もちろん民俗学の方もかつての「一国民俗学」から発展させて海外に目を向けた研究が増えてきている。柳田自身も構想していたであろう状況、すなわち「民俗学ないし文化人類学が日本民俗学とともに世界民俗学になるべきときが来ている」のかもしれない。
by syunpo | 2010-04-14 18:57 | 文化人類学・民俗学 | Trackback | Comments(0)

激動期が生んだ不朽の講演〜『職業としての政治 職業としての学問』

●マックス・ウェーバー著『職業としての政治 職業としての学問』(中山元訳)/日経BP社/2009年2月発行

b0072887_18582580.jpg 第一次世界大戦でドイツが敗北を喫し、ドイツ革命が勃発して帝政が崩壊した後の一九一八年頃、マックス・ウェーバーは自由学生同盟が主催した講演シリーズで二度にわたり講演を行なった。それぞれ〈職業としての政治〉〈職業としての学問〉と題された講演記録はすでに翻訳が日本でも刊行されていたが、訳文がこなれず不評がたえなかった。本書はその新訳である。中山元の言葉を補足した注解的な和訳と巻末のあとがきは、ウェーバーのいささか晦渋な語りを解きほぐして、功績大といえる。

 〈職業としての政治〉は、今も日本の政治学者や社会学者によって引用される機会の多いテクストで、今日読みやすい日本語となって再登場したことはその意味でも意義深い。
 政治家にとって重要な三つの資質として「情熱」「責任感」「判断力」をあげるところなどは発言の凡庸さにかえって驚くくらいだが、「信条倫理」と「責任倫理」という概念を用いて政治家の倫理を述べているくだりには革命の季節を生きたウェーバーの冷静な洞察のあとが刻まれているように思った。

 信条倫理とは、自分の理念の語る言葉に、政治家がみずから酔っている状態をさす。この種の倫理的な姿勢は、自分の行動の結果というものを考察することがない。すなわち自己の信条の正しさ(を疑うことがない)ゆえに「目的は手段を正当化する」と考えるのである。
 これに対して責任倫理をもった政治家は、みずからも信念や理念の言葉を語りながらも、その信念に基づいて行動した場合の帰結に責任を負う者である。
 ウェーバーが「計り知れないほどの感動」とともに称揚するのは、いうまでもなく後者である。無論、信条倫理と責任倫理とは「絶対に対立するものではなく、たがいに補いあうもの」であると付け加えることをウェーバーは忘れない。

 〈職業としての学問〉は「現代という時代は神々が存在せず、預言者もいない時代であり、このような時代に生きるのがわたしたちの宿命なのです」というフレーズに象徴されるように、ニーチェの残響が随所に感じられる。
by syunpo | 2010-04-11 19:07 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(2)

認知考古学の試み〜『列島創世記』

●松木武彦著『列島創世記』/小学館/2007年11月発行

b0072887_1792117.jpg 小学館が出している〈全集 日本の歴史〉シリーズ全一六巻のオープニングを飾る一冊。旧石器時代から縄文・弥生を経て古墳時代に至るまでの時代、文献資料が乏しいためもっぱら考古学にその研究が委ねられている時期が対象となる。

 本シリーズに先駆けて刊行された講談社の〈日本の歴史〉シリーズでは、本書の後半部に該当する時代を扱った寺沢薫の『王権誕生』(二〇〇〇年刊行)が標題どおり古代列島における政治の覇権争いと稲作の伝来・普及をめぐって記述の多くを費やしていることを思えば、本書の多角的な叙述は松木の視野の広さのみならず、日本考古学の日進月歩の歩みをも感じさせて、まことに興味深い。

 とはいえ本書から得た印象をざっくりいえば、先端の考古学の面白さと同時にいくばくかの疑問をも感じずにはいられなかった。話題の認知考古学の手法を導入しているのが売りの著作なのだが、正直なところ認知考古学なるものの真価は本書を読んだかぎりでは今一つよくわからない。

 認知考古学とは何か。ヒトの心の現象を科学的に分析する「心の科学=認知科学」の成果を考古学に採り入れたものだという。著者によれば、それは「歴史科学の再生」のために導入される。在来の考古学では科学的な叙述を行なうには限界がある、ということなのだろうか。もっとも松木は認知考古学の科学性をアピールするのに、冒頭ではすでに命脈が絶たれたと思しきマルクスの史的唯物論をやり玉にあげ、まとめの部分では文献史学の限界を指摘している。

 最近、朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で松木自身が「警察の捜査に例えると考古学の発掘は“鑑識”で、心理学に近い認知考古学は“プロファイリング”」と解説しているのを読んで、本書の消化不良感の所以が理解できたように思った。鑑識結果は容疑者の特定にも起訴後の公判維持にも貢献するが、プロファイリングとは推論でしかなく役に立つのは犯人逮捕まで。それじたいは科学的知見に基づいてはいても裁判での証拠としては使えない。

 さて、本書が描く認知考古学的方法による先史時代像のクライマックスの一つは〈美的モニュメント〉の代表例とみられる壮大な前方後円墳の出現をもたらした、その根本的要因を探るくだりであろう。
 松木は力をこめてまず次のように述べている。

 旧石器時代からの四万年の列島史のなかに古墳を位置づけたり、列島の古墳が世界でも最大級の規模を誇るまでになった要因を説き明かしたりするためには、さらに大きく視野を広げ、心の科学を武器にして、ヒトとモニュメントとの関係を分析することも必要だ。(p318)

 そうした視野から分析した結論は以下のようなものだ。

 日本列島に、美的モニュメントの典型のひとつといえる巨大前方後円墳が現われたもっとも根本的な要因、ないし人類史的な理由は、文字が本格的に使われるようになる以前に社会の格差が先行して進んだために、人工物の知覚を通じてそれを合理化する必要性がどこよりも著しく高まったからだろう。(p322)

 神話や史書によってみずからの地位を権威づけたり、法制による統治を目指したりするような、文字をもとにした情報による支配の制度が未熟だからこそ、美的モニュメントのような人工物に多大の労力を注ぐ必要があったとする松木の分析は説得力を感じさせる。

 ただ疑問に思うのは、このような叙述は松木がいうように本当に「認知考古学」という「武器」の導入をもって初めて可能になったものなのかどうか、ということだ。失礼ながらこの程度の分析なら、大仰に「認知科学」を引っぱり出してこなくとも、在来の社会科学的知見だけで充分書ける内容ではないかと思う。
 同じことは前半で縄文式土器の脱機能的な「凝り」をめぐって展開される文化論・コミュニケーション論的な分析にもいえる。

 もっとはっきり言ってしまおう。認知考古学の看板がかえって記述の混乱をまねいている箇所もみられる。
 たとえば、弥生時代中期の終わりから紀元前後に各地に増えた高地性集落をめぐるヒトの心の変化を述べたくだりだ。この時期に人びとが高所への興味を強めた根本的要因は「やはりヒトの心の中に探るべきだろう」(p249)との認識を示して、以下、その考察にすすむ。

 高いところが醸し出す心の現象は二つある。
 一つは、高所からの眺望がもたらす空間認識の客観性。二つめは「上下」の関係性の体感が社会的な序列や不平等と結びつくという事象である。
 以上二つの現象から、高所願望の根本的要因として「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まっていたこと」「『上・下』の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていたこと」を指摘するのである。
 だとするなら、話はそこで終わるはずはない。「正しい空間認識や地理情報への社会的要請が強まったのは何故なのか」「上・下の関係をはらむ世界観が、社会の階層化と連動しつつ人工物に演出されようとしていた社会的背景は何なのか」という新たな問いがただちに提起されるはずである。実際、松木自身もその問いに答えるべく考察を深めていく。
 その結果、大陸からやってきた鉄器の普及に代表されるように「生産や生存を支える物資を、海や陸を越えた遠いところから取り寄せなければならない」状態が到来した、という生存条件の変化を指摘するに至る。
 つまり、弥生時代中期の人びとが高所への関心を高めた要因には、彼らの心に変化があったことは疑えないが、別にそれが「根本的」なのではない。そのような心の変化を促す社会の変化があったということが決定的に重要なのであり、それこそが「根本的要因」というべきだろう。

 無論、この一連の考察には論理的破綻はない。ただ、松木が前提的に「ヒトの心の中」を過大評価しているにすぎない。したがって「人びとが高所への興味を強めた根本的要因は、やはりヒトの心の中に探るべきだろう」という趣旨の認知考古学(というよりも心理学)を意識したフレーズを削除しさえすれば、ここでの叙述の整合性がとれるのだ。

 ちなみに前述した寺沢薫の著作では、高地性集落出現の背景については鉄器との関連から見る説を斥けてもっぱら軍事的必要性が強調されている。今回、松木は明らかにそうした異論への再批判を企図したものと思われる。ただ従来どおりの説を繰り返すだけでは芸がないので「認知科学」的な視点を加えて理論武装をはかったところが、空回りしてしまった、というところだろう。
 いずれにせよ、松木が本書において安易かつ頻繁に用いている「根本」「本質」の語句には注意を要する。

 以上をまとめあげていえば、著者自身が「プロファイリング」(=推論)であることを自認している方法をもって、先史時代の出来事の「根本的な要因」を探ろうとしたり、「科学の再生」を図ろうとしている方法的矛盾に加えて、その分析内容じたいも必ずしも斬新さを感じさせるものではない、ということだ。
 新しい学問領域の旗を掲げるためには、それなりのパブリシティが必要なことは察するけれど、それにしても叙述のあちこちから松木の気負いが伝わってきて読んでいて息苦しくなった。

 もちろん参照できる知見があれば、どこからでも引っぱってくれば良いと思う。考古学が考古学の枠組みに縛られなければならない理由などあろうはずはない。今やあらゆる学問は他の学問から知恵を借りる時代、学際的研究が志向される時代なのだから。
 実際のところ、松木は明記していないだけで、本書の記述に限ってもホッブズの自然状態=社会契約説の古代版という趣の推論があったり、文化人類学的な知見と通底する叙述があったりするのだ。
 その意味では、松木がことさら認知科学のみに固執する必然性もないだろう。必要以上に「ヒトの心」を強調するあまりに、もともと唯物論的な科学として営んできたはずの考古学が凡庸な観念論に侵食され、かえって曖昧化しかねない危うさを本書からは感じてしまった。
by syunpo | 2010-04-07 12:10 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

エコノミストに騙されないために〜『経済学はこう考える』

●根井雅弘著『経済学はこう考える』/筑摩書房/2009年1月発行

b0072887_1827122.jpg 現代経済思想史を専攻する研究者が「経済学の考え方」を概説した本である。といっても取り上げられている経済学者は、アルフレッド・マーシャル、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョーン・ロビンソンなどケンブリッジ学派が中心で、昨今隆盛を極めたネオリベラリズムに対する批判的な著者の姿勢が明瞭にあらわれた著作といえる。

 「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである」というロビンソンからの引用がいちばん印象に残った。もっともこのフレーズは「経済学」を「政治学」や「歴史学」と言い換えても妥当するかもしれない。
by syunpo | 2010-04-05 18:30 | 経済 | Trackback | Comments(0)

深まりゆく〈狂気〉の世界〜『行人』

●夏目漱石著『行人』/新潮社/1993年9月発行(文庫改版版)

b0072887_1964173.jpg 『行人』の主人公は大学教師の一郎であるが、語り手は前半が弟の二郎、後半には同僚のHさんに替わる形式をとっている。視点が中途で転換してしまう語りの構造、核となる話の前段にいくつかの挿話が短編小説風に置かれる構成は、前作『彼岸過迄』と同じである。ただしそうした変則的なスタイルが『彼岸過迄』においては必ずしも成功しているとは言い難かったのだが、『行人』ではより洗練され、小説としてのバランスの悪さはかなり解消されている。

 一郎は妻・直との関係において不調を来しているばかりでなく、家庭でも社会でも孤立感を深めている。二郎は嫂にあたる直と微妙な関係にあり、一郎から疑いをかけられる。このような三角関係は漱石ではおなじみの構図だが、家族を巻きこんで兄弟間での葛藤を生み出している点で一層の生々しさが漂う。兄は弟に妻の貞操を試すことを依頼し、それをなかば受けた形の二郎は直と二人で出かけ、悪天候のため一夜を宿屋で過ごす羽目になる。その夜の描写など漱石の筆はいつになく官能的でスリリングなものだ。

 一郎は神経衰弱が高じて狂気的な状態に立ち至る。両親も二郎も手詰まりになり、最終盤では一郎の同僚Hさんに一緒に旅行をしてもらって局面の打開をはかろうとする。Hさんは二郎の依頼に応え、旅先での一郎の様子を長い手紙にしたためて送ってよこす。その手紙がこの小説における締め括りの役割を果たすことになる。一郎の狂気的な煩悶がHさんの視点から好意的に相対化されるわけである。一郎の苦悩には結局のところ救いはないのが、その事実をHさんによって認識されることでかろうじて救われる、という形で小説は終わるのだ。

 それにしても何という気鬱な世界であることだろう。しかも不思議なことに一郎は結局最後まで直と正面から向き合おうとしないのだ。一郎の病的なあり方や彼の口にする陳腐な女性観などを含め、私自身はこの作品をあまり好きになれない。

 とはいえ、一郎の孤立感は漱石自身の当時の文壇における孤立感とも関連していると思われるし、前半の二郎の友人・三澤の入院生活を描写した場面なども漱石の闘病体験が反映されているに相違ない。また初期の短編で漱石が関心を示していたテレパシーの問題がまた持ち出されたり、最終盤で一郎がHさんに悩みを赤裸々に打ち明けるくだりでは、後に「則天去私」の境地と呼ばれることになる漱石の世界認識の片鱗が顔をのぞかせているなど、漱石研究の観点からは軽視できない作品であることも確かだろう。
by syunpo | 2010-04-02 19:11 | 文学(夏目漱石) | Trackback | Comments(0)