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ブックラバー宣言

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「帝王学」にかわる「主権者学」を〜『憲法読本』

●杉原泰雄著『憲法読本 第4版』/岩波書店/2014年3月発行

b0072887_2012948.jpg 憲法の入門書としてはロングセラーといえるのだろう。本書は一九八一年に初版が刊行され、二度の改定を経て二〇一四年に第4版を出すにいたった。とくに目新しいことが書かれているわけではないが、立憲主義に対する国民の関心も高まっているおり本書のような初学者向けの入門書にも出番が増えたといえるかもしれない。

 著者によれば、現在は憲法の歴史における第三の転換期にあたる。近代市民憲法によって立憲主義の政治が始まったのが第一の転換期。両性の不平等を改め、賃労働者を含む民衆層にも人間らしい生活を保障しようとしたのが第二の転換期。そして第三の転換期の重要課題となるのは上記の課題に加えて軍縮と地球環境破壊への対処だという。

 立憲主義の立場から現政権の言動を批判的に吟味する類の書物はすでに数多く出ているが、本書は明治憲法と比較しつつ戦後政治を概観し、憲法の理念が活かされているとは言えない政治の実態について満遍なく切り込んでいる。その批判の筆致にはいささか紋切型におさまる箇所も散見されるものの、国民主権を重視し一般国民にも政治への関心をくり返し説く姿勢は現憲法が想定している主権者のすがたを目指すものとして支持したいと思う。

 ただし引っかかる点もある。たとえば自衛権に関しては国民の生存権を明記した二五条を引いて個別的自衛権を容認する解釈が一般的だと思うのだが、本書では九条の条文からただちに武力行使そのものに否定的な態度を示している。「(安全保障に関して)憲法9条の文言だけを見て議論するのは、檻の中のシマウマを黒馬だ白馬だと騒ぐようなもので、意味のあるものとは言い難い」という木村草太の見解に対して著者はどう答えるのか、聞いてみたいと思った。
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by syunpo | 2016-03-30 20:06 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)

正直・親切・愉快に〜『「意地悪」化する日本』

●内田樹、福島みずほ著『「意地悪」化する日本』/岩波書店/2015年12月発行

b0072887_844579.jpg「論争」を拒否している内田樹センセイは意見の合う人との「対談」はお好きなようで、最近はやたらその種の書物を出している。本書の相手は参議院議員の福島みずほ。

 キーワードは書名にも採用されている社会の「意地悪」化である。

 意地悪というのは、今の日本のキーワードですね。パイがどんどん小さくなって、お金がどんどんなくなるなかで、ちょっとでもいい思いをしている人間を叩く。(福島、p68)

 日本の「意地悪」化というのは、言い換えれば「他人が何かを失うことが、自分の得点にカウントされる」という発想から生まれてきているんだと思います。(内田、p189)


 こうして「意地悪」化した人々が支える公権力者たちの振る舞いが批判的に論評されていく。そのうえで「正直・親切・愉快」に生きることが推奨される、というのが本書の趣旨である。

 それにしても、内田の安倍・橋下批判はむしろ自己批判と読んだ方が事実に即しているかもしれない。「この二人は異論と対話する気がない点ではほんとうによく似ています」と厳しく非難しているが、それは内田自身が繰り返し明言している基本姿勢でもある。学者はそれでもいいが公人には許されない、とでもいうのだろうか。たぶんそういうことなのだろう。私は安倍政権をまったく支持しないけれど、本書の対話もかなり杜撰で退屈だったというのが偽らざる感想である。
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by syunpo | 2016-03-21 08:56 | 政治 | Trackback | Comments(0)

あるシベリア抑留者の軌跡〜『生きて帰ってきた男』

●小熊英二著『生きて帰ってきた男 ──ある日本兵の戦争と戦後』/岩波書店/2015年6月発行

b0072887_1945366.jpg 小熊謙二は満州に出征し、ソ連軍侵攻にあって四年間のシベリア抑留生活をおくった後、生還を果たした。帰国後は職業を転々としながら高度経済成長の波にのってビジネスを成功させ、晩年は中国在住の元日本兵が起こした戦後補償裁判の共同原告となって裁判を闘った。波乱万丈の人生を息子・英二がオーラル・ヒストリーの形でまとめたのが本書である。

 シベリアでの収容所暮らしで注目すべきことの一つは「民主運動」であろう。捕虜たちのあいだで共産主義思想に基いてお互いを糾弾しあうという運動が生じたのだ。それにはソ連側の働きかけがあったことは事実だが、捕虜たちがみずからすすんでそのような運動を行なった側面も否定できない。小熊は、日本の捕虜たちが「過剰適応」した部分も大きかったと分析している。謙二自身はそうした運動からは距離をおいていたらしいのだが。

 それにしても謙二の人生は様々な意味で人間のたくましさを感じさせる。戦後、結核を患い長期にわたって療養所暮らしを体験し、外科手術のために片肺の状態になってしまうのだが、それでもその後の人生をビジネスマンとして生き抜いた。また後年、戦後日本国籍を失った元日本兵には政府の補償を受ける権利がないことに理不尽さを感じ、中国在住の元戦友が起こした裁判をともに闘うすがたは感動的でさえある。

 ──シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という息子の問いに対する父・謙二の回答はシンプルゆえに印象深い。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。

 一般に戦争体験の記録は学徒兵や将校など学歴や地位に恵まれた者たちによって記されたものが多い。「生活に余裕がなく、識字能力などに劣る庶民は、自分からは歴史的記録を残さない」。その意味では、とくに学歴に優れているわけでもなく、軍隊で恵まれた境遇にいたわけでもなく、戦後もインテリとして生活したわけでもない人物にまつわる本書の記録はこれまでの戦争体験記の隙間を埋めるものであるかもしれない。

 さらに類書と異なっている特色として、著者もいうように戦前と戦後の生活を詳細に記述している点が挙げられるだろう。「戦前および戦後の生活史を、戦争体験と連続したものとして」描くことで「戦争が人間の生活をどう変えたか」「戦後の平和意識がどのように形成されたか」といったテーマにも応えるものとなった。力作といえるだろう。
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by syunpo | 2016-03-18 19:06 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

モノ語りへのいざない〜『注文の多い注文書』

●小川洋子、クラフト・エヴィング商會著『注文の多い注文書』/筑摩書房/2014年1月発行

b0072887_198687.jpg クラフト・エヴィング商會とは吉田浩美と吉田篤弘による制作ユニット。テキストとイメージを組み合わせた作品を発表する一方、装幀デザインを多数手がけている。本書は小川洋子とのコラボレーションによる風変わりな作品集である。

「ないものを探してください」──小川洋子の描く人物たちの依頼にクラフト・エヴィング商會が応えるというスタイルで、五篇の物語が紡ぎ出された。「注文書」「納品書」「受領書」の三つのパートから構成される。

 注文内容は、川端康成『たんぽぽ』から〈人体欠視症治療薬〉。サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』から〈バナナフィッシュの耳石〉。村上春樹『貧乏な叔母さんの話』から〈貧乏な叔母さん〉。ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』から〈肺に咲く睡蓮〉。内田百閒『冥途』から〈冥途の落丁〉。

 いずれも文学作品を下敷きにした注文で、小説家・小川洋子がどのような文学テキストからインスパイアされたのか、という点でも興味深い趣向といえるだろう。

「私が彼に触れると、そこが順番に見えなくなってゆく」という人体欠視力症は、人を愛することの困難をパラドキシカルに示して興味深いし、〈貧乏な叔母さん〉の寓話には時間や成長についての文学的な考察のあとがしるされているように思われる。内田百閒の〈冥途〉の落丁本をめぐる一篇は書物のモノ性に着目した不思議に魅力的な物語である。
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by syunpo | 2016-03-07 19:09 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)

感情が劣化した時代に向けて〜『戦争する国の道徳』

●小林よしのり、宮台真司、東浩紀著『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』/幻冬舎/2015年10月発行

b0072887_10362362.jpg 三人の論客による鼎談集。第一部は東が主宰する「ゲンロンカフェ」で行なった公開鼎談を活字化したもの。小林と宮台が持説を開陳し、東は司会進行役に徹して発言は控えめだが、冷静な交通整理ぶりが議論の見晴らしをよくしている。二部は一部の討論を受けて三人が非公開で鼎談した記録である。

 本書を貫いているのは優等生的な民主主義論に対する懐疑、といえば言い過ぎになるだろうか。少なくとも「今や大衆は信頼するに足りない」という認識は共有されている。

 そこで興味深いのは、昨今の社会を覆っている憂うべき現象は反知性主義ではなく「感情の劣化」によるものであるという認識である。宮台がそのことを再三繰り返している。

 ……問題は「反知性主義」じゃなく「感情の劣化」なんだよ。道徳心理学者ジョナサン・ハイトが強調するとおり、最先端の実験心理学では、感情が理性を方向づけるのであって逆ではないことが証明されている。感情が劣化しているから知性を尊重できないんだよ。だから処方箋も理性ならぬ感情の涵養にあるわけだ。(p55)

 大衆が劣化した感情で巨大な権力に依拠し、巨大な権力は劣化した感情を容易にコントロールする、という悪循環。当然「感情の涵養」にあたっては一種のエリート主義が提起されることになる。ミクロには理を説き、感情的動員に対しては感情的動員で闘うしかない、というのが宮台の考えだ。

 東もコンテクストは異なるが、クリエイターたちの民主主義的な態度に批判の目を向けている。

 昔は美術や建築といえば、アーティストや建築家が大所高所の見地からビジョンを提示するものだった。でもいまは、まったくそうじゃない。むしろそういう態度は嫌われるのですね。これはあらゆる分野で起きている変化で、とにかく徹底した権威の否定、そして無限のコミュニケーションが正義だということになっている。(p170)

 そこからさらに「当事者至上主義」について批判的な議論が展開される。沖縄の基地問題や福島の原発事故を考えるにあたっては当事者に寄り添うことが一般には是とされるが、ここではそうした態度こそが批判の対象となる。問題を抱えている地元の「当事者」の気持ちを第一に考えることが「行き過ぎると学問やジャーナリズムの自殺になると思います」と東はいう。宮台も同調して次のように述べている。

 ……佐藤優に代表される「当時者主義」は、当事者の多様性を覆い隠して「これが本当の総意だ」みたいなフィクションをでっち上げ、自分は当事者の側に寄り添うかのごとく扮技し、「宮台やよしりんは上から目線で御託を垂れている」という批判をこちらに向けてくるんだよな。(p172〜173)

 琉球人が提唱する琉球独立論、とりわけ琉球民族独立総合研究学会のような閉鎖的な独立運動も当然ながら宮台は厳しく指弾する。重要なのはアイデンティティの確認ではなく価値をシェアすることなのだ、と。

 言論人たる者、多かれ少なかれ上から目線でモノを言う。そのことじたいが問題になると私には思えない。賛同するによ反発するにせよ、本書には優等生の民主主義論にはない小気味よさが感じられる。こういう小気味よさに触れることも私にとっては読書の快楽の一つである。
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by syunpo | 2016-03-02 10:38 | 政治 | Trackback | Comments(0)