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ブックラバー宣言

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近代国家における立法の重要性〜『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』

●木村草太、津田大介、加藤玲奈、向井地美音、茂木忍著『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』/朝日新聞出版/2017年7月発行

b0072887_12531137.jpg 憲法学者の木村草太とジャーナリストの津田大介がAKB48の三人を相手に政治の授業をするという趣向の本。標題どおり初学者向けの入門書で、それ以上でもそれ以下でもない内容だが、ただ一点、木村の授業できわめて含蓄に富むくだりがあるように私には感じられた。以下、変則的ながらその点に絞って記してみたい。

 私が興味深く感じたのは三権分立を解説した箇所である。
「行政」「司法」「立法」の三権は昔から並び立っていわたけではない。このうち最も遅れて概念化されたのは「立法」である。木村の既刊書『テレビが伝えない憲法の話』でも力説していることだが、本書でもかなりの紙幅を割いて噛み砕いた説明をしている。

 行政と司法の二つは、人間の生活に欠かせないものなので昔からあった。古代ローマ帝国も漢や秦など古代中国の国家もこの二つの機能を備えていた。これに対して立法は比較的最近出てきた考え方なのだ。

 では、昔は必要なかったのに、なぜ近代国家では立法の機能が必要になったのか。このように問題提起して次の授業でその解答を提示していく。

 昔は「公平性を守る」ためには、優れた人が王様や裁判官などの権力者になればよいという考え方が支配的だった。ところが近代になって「どんな人が権力者になろうとも、公平なルールが実現するようにと、法律に基いて権力を行使しようという発想になった」のである。

 つまり建前上は誰もが権力者になる可能性のある時代になったからこそ「立法」という機能が必要になったと考えられる。立法が遅れて概念化された権力であることは、政治社会の近代化と大いに関連しているわけだ。近代民主主義には欠かせない〈国民主権〉や〈法の支配〉を実現するために必要になった国家作用。木村はそこまで踏み込んだ解説をしているわけではないけれど、日本国憲法では立法府こそが「国権の最高機関」と規定されていることは何度でも思い返す必要があると思う。

 今日、日本では行政府の暴走が目立ち、国会は以前にもまして形骸化したといわれる。それはすなわち民主主義の形骸化と言っても過言ではない。私たち国民は裁判官や官僚を選ぶことはできないが、国会議員については直接選挙で選ぶことができる。近代になって「立法」という概念が発明されたことの意味を私たちはよく噛みしめる必要があるのではないだろうか。本書を読んであらためてそのようなことに思いを致した次第である。
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by syunpo | 2018-03-31 12:53 | 政治 | Trackback | Comments(0)

熱狂を抑えることにおける熱狂〜『保守の真髄』

●西部邁著『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』/講談社/2017年12月発行

b0072887_19534350.jpg 西部邁といえば日本の近代保守思想の重鎮的存在であった。中島岳志をはじめ西部を参照する後進の保守思想家は多いし、討論番組でバトルを展開した宮台真司もその後は西部と何度か親密な対談を交わしている。二〇一八年一月に惜しまれつつ他界した直後には本書にも触れた追悼的文章をいくつか見かけたこともあり、久しぶりに西部の本を手にとった。

 なるほど首肯しうる発言は少なくない。戦後日本の米国追従路線を厳しく糾弾しているあたりは、白井聡の『永続敗戦論』とも重なり合うものだろうし、新自由主義的なグローバリゼーションに対する異議は、むしろ社民主義やリベラリズムに近しいものと思われる。保守思想と社民主義の親和性の高さはつとに指摘されてきたことであるから、それは別段驚くほどのこともでもないのだろうが。

「『熱狂を抑えることにおける熱狂』こそが保守的心性の真骨頂なのである」とか「保守に必要なのは『矛盾に切り込む文学のセンス』」などはつい引用したくなるフレーズかもしれない。

 ただそれ以上に、同意できない見解もまた頻出する。何より伝統や歴史の持ち出し方がいかにも抽象的だ。スローガンの域を出ないのではないかと思う。もっとも引っかかるのは「近代への懐疑」の必要性を繰り返し力説しながら、近代の産物に他ならない国民国家という枠組みを疑う姿勢が微塵も見えないことだ。

 西部は、国民国家に関して人類史の全体をとおして存在してきたものと捉えているようだが、それは端的に誤りだろう。国家の形態をとらない社会や共同体で生きてきた経験の方が人類は長いのではないか。現代社会における国民国家の役割の重要性を私も否定しないが、国家が「シジフォスの如く難行苦行をエンドレスに引き受ける」べき理由は歴史的にも論理的にも見当たらない。

 その意味では西部の唱える保守思想の真髄にはやはり魅力を感じることはできなかった。徴兵制導入や核武装論など個別具体的な政策論となるとさらに違和感は強くなる。最後に異様な熱気をもって語られる死生観にもまったく共感しない。私には退屈な本というのが率直な感想である。
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by syunpo | 2018-03-28 20:00 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)

中東は世界の矛盾が吹き出すところ!?〜『9.11後の現代史』

●酒井啓子著『9.11後の現代史』/講談社/2018年1月発行

b0072887_1915681.jpg 中東地域が政治的にも軍事的にも混乱し治安の悪いエリアと認識されるようになったのは、そんなに昔ではない。複数のデータを照らし合わせると、中東でテロや紛争が増加したのは二一世紀に入ってから、特に二〇〇三年のイラク戦争以降ということらしい。

 本書はそのような事実認識に基づき、昨今の中東地域に出来した混乱の背景を多角的に分析している。著者の酒井啓子は、イラク政治史、現代中東政治を専門とする研究者。簡潔明瞭な語り口で、初学者にも読みやすい新書らしい一冊といえるだろう。

 そもそも二〇世紀に中東で起きたことは、欧米諸国が行なってきた矛盾のツケが吹き出したようなものだという。二〇〇一年の九・一一のテロ事件を契機にそのツケはさらに大きくふくらんだ感がある。それにつづいて米国が仕掛けたイラク戦争は、その後の中東地域の混迷を決定づけた。

 標題に即して言うならば、九・一一は「アメリカの外交・安全保障政策を、最初は過剰介入の方向に、次には自国ファーストの方向に、二度にわたってぐるりと転換させる結果を生んだ」といえる。

 イラク戦争が理も大義もない戦争だったということは、開戦から十年以上を経て、開戦当事国の一つである英国の公的機関でも認定された。「無責任でずさんに行われたイラク戦争によって、イラクは秩序が崩壊し、政治は不安定化し、経済は停滞するという悲惨な運命をたどることになった」。
 その理不尽さからISは生まれたというのが世界の大勢的な見方である。

 そうして「イスラームが暴力化するのではなく、暴力性を抱えた個人や集団が、それを正当化するためにイスラームを利用している」という事態も生まれるようになった。

 ISを生む直接のきっかけとなったシリア内戦についても、それが「内戦」の形をとっているとはいえ欧米諸国との関係も軽視できない。シリア内戦が長期化した原因として、酒井は「国内で広く民衆の意思を代表できる勢力が反政府側にいなかったこと」のほかに「「内戦」に関連して周辺国や欧米諸国が、ご都合主義的に介入したりしなかったりの態度を取ったこと」にも求めている。

 本書でもっとも印象に残ったのは、後半になってようやく言及されるパレスチナ問題に関するくだりだ。中東を語る場合、これまではパレスチナの問題は多くの人々にとっては最も重要な問題の一つと考えられてきた。しかし最近のISやローンウルフ型の武装組織は、ほとんどパレスチナ問題に触れることはない。

 犠牲者であることが多様化し、誰しもが犠牲者度合いを競争し、だからこそ自分たちこそが最も報われるべきだと考える現代。かつて皆が「犠牲者としてみなともに悼むべき」と考えてきた、パレスチナの悲劇は、すっかり後景に下がってしまい、自分たちそれぞれが考える「犠牲」からの回復を優先させる。(p196)

 中東では誰もが敵に囲まれた犠牲者としてのアイデンティティを強調するようになったという指摘は日本人にとってもすぐれて教訓的ではないだろうか。「どちらがより多くの犠牲を被ったかの競争だけに時間と労力を費やしても、徒労である」と酒井はいう。

 誰が他者なのかわからないのならば、「われわれ」と「他者」の違いを明確にする必要はないのではないか。少なくとも、敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さがあってしかるべきだろう。(p215)
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by syunpo | 2018-03-23 19:16 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

知のブリコラージュ〜『都市と野生の思考』

●鷲田清一、山極寿一著『都市と野生の思考』/集英社インターナショナル/2017年8月発行

b0072887_19583098.jpg クロード・レヴィ=ストロースの名著『野生の思考』に「都市」をトッピングした標題がいかにも興味をそそる。大阪大学の元総長と現役の京都大学総長との対話集である。

 臨床哲学なる分野を開拓したユニークな哲人とゴリラ研究で名を馳せる霊長類・人類学者によって交わされる言葉は相互に刺激しあいながら専門分野の垣根を越えて、文字どおり都市や自然を自由自在に経巡るかのようだ。

 山際が大学の存在意義について多様性を旨とするジャンクルに喩えれば、鷲田はその文脈で大学を社会実験の場と捉え個性的な人間をあえて野放しにしておくことの意義を説いて対話ははずむ。

 ゴリラの研究から直接導かれた発言もおもしろい。たとえば「ゴリラのリーダーには、二つの魅力が求められる。他者を惹きつける魅力と、他者を許容する魅力」という山際の話は人間にとっても教訓的という以上の深い含蓄に富む指摘ではないか。それに対応する鷲田持論の「しんがりの思想」も興味深い。

 標題にもうたわれている二人の都市論はもっぱら京都を軸に展開されていく。支配者が変わり、国家体制が変わっても生き延びているものの象徴として、街に息づく芸術や祭を考える。その意味では京都は格好の都市といえるだろう。ここでも京都という都市はジャングルに擬えられる。

 さらに京都の街は成熟/未成熟の観点からも称揚される空間となる。

 すごい学者は往々にして、世間から変人と見られる。世間のことなど何も気にせず、自分の世界だけをとことん突き詰めていくからです。つまり未熟さこそが文化の原動力とも言える。そうした未熟さを内にたっぷり抱えていられるのが成熟社会で、京都はその典型でしょう。……(中略)……自分の中の未熟さを守るためにこそ、人は大人になるんだと。(鷲田、p44)

 ファッションに関する論考でも知られる鷲田の制服に関する発言も目からウロコが落ちた。現代人は制服を管理の象徴のように考えるが、そもそも制服は自由の象徴として着られるようになったという。

 ……制服とは自由な市民の衣装のことで、具体的には背広の原型に相当するものです。市民はみんな平等であり、階級も職業も関係ないことを表現するために、みんなが同じ黒やグレーのスーツを着るようになった。(p148)

また、リベラルの語源にあたる単語はもともと「気前がいい」という意味だったという鷲田の語源論にも考えるヒントがいくつもころがっていそうだ。

 後半、ありあわせの食材を使って食事をこしらえる「家事的な発想」の必要性を二人が説くくだりも印象的。いうまでもなくレヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ」なる手法である。

 その意味では本書の対話もまた「ブリコラージュ」的といえるだろうか。系統的に一つの命題に向かっていくというよりも、その場その場の閃きによって言葉がほとばしり出てきて、巧みに前後の素材と組み合わさる「ブリコラージュ」の悦び。都市と野生が結びついた愉しい知の対話集といっておこう。
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by syunpo | 2018-03-19 20:00 | クロスオーバー | Trackback | Comments(0)

ジェンダー役割分業観を相対化するために〜『〈女帝〉の日本史』

●原武史著『〈女帝〉の日本史』/NHK出版/2017年10月発行

b0072887_215619.jpg 日本における女性の政治参加は著しく遅れている。これを日本古来の考え方とむすびつけて論じる言説は少なくない。だが本当にそうなのか。

 本書は神功皇后伝説から、持統天皇、北条政子、淀殿……と連綿とつづいた女性権力者たちの系譜をたどり、日本の政治における女性のパフォーマンスを分析するものである。中国や朝鮮半島の政治史を参照することで、東アジアの共通点と同時に日本の特性をも浮かびあがらせる。

 儒教社会では古くから男女の違いが説かれてきた。『尚書』には、女性が政治に口出しするとロクなことがないということが書かれているらしい。ゆえに東アジアでは、女性が権力をもつことがどこでも忌避されてきたように見えるが実際にはそうではない。

 七世紀は東アジアで「女帝」が登場する時代である。歴史的にいえば、皇帝や天皇にならず、王后や皇后のまま権力を握る場合が多かったという。中国では儒教経典の教えに反して、名実ともに権力者として采配をふるった女性が断続的に存在したという指摘は興味深い。

 大陸では臨朝称制や垂簾聴政と呼ばれる政治形態があった。前者は皇帝が幼少などの理由で執政できない場合に皇太后が朝議に臨み(臨朝)、命令を出す(称制)などの政務を執ることをいい、後者は女性が簾ごしに臣下と接して采配をふるうことを指す。日本史においてもそれに類することがしばしば行なわれた。

 日本では原始的な段階で母系制がまずあり、それが父系制に移行したという説を吉本隆明が唱えたが、柄谷行人がそれを否定した。柄谷によれば、どちらでもない状態が最初にあり、次に単系(母系ないし父系)または双系というかたちをとった後、家父長制へと移行したとみるのだ。本書でも基本的にその線で記述をすすめている。

 古代天皇制において、女性権力者の系譜をたどっていくと、三〜四世紀に活躍したとされる神功皇后に行き当たる。今では実在が疑われている人物であるが、記紀によると朝鮮半島に出兵して「三韓征伐」を行なったことになっている。
 注目すべきは、天皇に比された神功皇后のおかげで敵を撃退することができたという風説は、平安時代から室町時代にかけて対外的危機が認識されるたびに再生産されたということである。

 推古天皇以来、女性天皇の時代が長くつづく。「内発性を含む資源」に加えて、当時の先進国であり国際基準となっていた中国という外圧の働いたことが女性天皇の時代を持続させたと原は分析する。

 平安時代になると女性天皇に対する忌避の感情が生まれるが、臨朝称制の仕組みは残った。つまり幼少の男性天皇が即位しながら、その母親が権力を握る新たな時代に入ったのである。
 政治権力が武家に移る中世以降では、将軍の母や後家が権力をもつ時代になる。北条政子(源頼朝の妻)や日野重子(足利義勝、義政の生母)などである。

 江戸時代は女性の権力が封じられた時代である。将軍の妻妾たちは江戸城本丸の大奥という閉鎖的な空間で生活するようになり、そこに女性だけのヒエラルキーが築かれるようになる。将軍に匹敵する権力をもつことはなかった。徳川家康は女性の権力掌握を非常に警戒し、様々な布石を打った。それが江戸期をとおして貫徹したといえるかもしれない。

 明治以降は皇后が「祈る」主体となる。軍事指導者としての新たな天皇像がつくられるとともに、政治に口出しせず、天皇を陰で支えるパートナーとしての皇后像がつくられていった。同時に国家神道の整備とともに、皇后はアマテラスや歴代天皇の霊に向かって「祈る」主体として新たに登場した、というのが原の見方である。

 こうして日本の政治史を振り返ってみると「古代日本に双系制の文化があったとすれば、男尊女卑という観念はもともと日本にはなく、年長者の女性が権力をもつこともできるはず」だということになるだろう。双系制が廃れて父系制へと移行してからも、年長者の女性が権力をもつ時代が断続的にあったことは注目に値する。

 けれどもいまや、そうした時代があったことはすっかり忘却された。男系の皇統がずっと保たれてきたことが日本のアイデンティティだとする言説が依然として影響力をもっているのだ。

 ……日本で近代以降に強まった、女性の権力を「母性」や「祈り」に矮小化してしまう傾向は、皇后や皇太后が「神」と天皇の間に立つことを可能にする反面、女性の政治参加が憲法で認められたはずの戦後にあっても、女性を権力から遠ざけるという影響を及ぼしているように思われます。こうした状況が続く限り、日本で女性議員を増やし、女性の政治参加を増やすことは根本的に難しいと言えます。(p278〜279)

 原が指摘するような女性の政治参加を難しくしている歪んだ認識を是正していくために、本書は極めて貴重な知見を与えてくれる一冊であることは間違いない。
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by syunpo | 2018-03-14 21:08 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

死者の分断の克服を〜『「日本会議」史観の乗り越え方』

●松竹伸幸著『「日本会議」史観の乗り越え方』/かもがわ出版/2016年9月発行

b0072887_18195017.jpg 安倍内閣との深い関係が取り沙汰されることの多い日本会議。一民間の任意団体にすぎないが、閣僚の多くが日本会議に名を連ねていることもあって、その政治信条は互いに近しいものと考えられている。本書ではとくに日本会議の歴史観を批判的に検討する。そのうえでその歴史観をいかに乗り越えていくかを示す。

「日本会議」史観とはいかなるものか。
 その大きな特徴は、東京裁判史観を批判し、明治以降の日本の歴史を全体として「栄光の歴史」として描くところにある。日本が欧米列強の植民地にならなかったことを誇る一方で、朝鮮半島を植民地にしたことについては「現在の民族自立を尊重する価値観からすれば、韓国統治は遺憾であったといえる」との留保をつけながらも「内容的にも法律的根拠においても、正当なものであった」と述べている。
 また太平洋戦争についても「米英等による経済封鎖に抗する自衛戦争」と主張する。つまり侵略戦争という一般的な見方を否定しているのである。

 さて、松竹伸幸はそのような史観に対して、頭ごなしに批判を展開することはしない。日本会議の見解は矛盾だらけなので、論難するのはさほど難しいことではないのだが、それでも国際政治史や国際法制史を参照しつつ、その歴史観を細かく吟味していく。そのうえで日本会議史観を斥けるのである。

 議論は精細を極めているので、安易な要約は本書の味わいを損ねてしまいかねない。具体的な検討とともに語られる、良い意味で政治哲学的なことばが私にはより強く印象に残った。変則的ながらそれを中心に記してみたい。

 たとえば植民地支配をめぐる考察は現代史を学ぶにあたってすぐれて示唆的である。
 日本が独立を保ったという栄光の歴史は、日本が韓国の独立を奪うという負の歴史と一体のものだった。不平等条約が改正されたのは、日本のいろいろな外交努力の成果もあるが、根底にあるのは日本が韓国を植民地として支配できるだけの「力」を持ったことにより、ようやく欧米から主権国家だとみなされたということ。当時の欧米諸国のアジアに対する見方というのは、そういう水準のものだったのだ。

 ですから日本は、独立を保ったということを誇りに思えば思うほど、その影には韓国を抑圧した歴史があったことに思いを馳せなければならないのです。日本会議の「七〇年見解」や安倍談話のように、光と影の両方があるのだというだけでは、現実を正確に捉えることにならないのです。(p54)

 また「侵略」の定義や法制化をめぐる議論では日本の特殊な歴史的位置を力説する。すなわち、侵略の定義が確立される原因となったのは、ひとえに日本やドイツが行なった武力行使にあると指摘するのである。日本が侵略したことを重要な原因として、国連憲章がつくられ、日本国憲法がつくられた。松竹はこの歴史的経緯を重くみる。

 日本は、侵略政策とはどうやって生み出されたのかを、自分の体験として語れるのです。その責任を問われてはたすことによって、戦後は侵略をしなかった経験も語れるのです(侵略に加担はしたので、その反省も必要ですが)。侵略を企む国に対して、その両方の体験を語る国として対峙することができるのは、世界のなかで日本だけだといっていいでしょう。
 その大事な立場を放棄してはならない。切実にそう思います。(p103)

 以上のような認識を示したあとにつづく「日本が戦争の過去に否定的に縛られていることは、決してマイナスではないのです」という言葉は含蓄に富む深い認識ではないだろうか。

 そうして日本会議史観を最終的に「乗り越え」るために、最後の難問へと向かう。それは戦争の犠牲になったさまざまな死者たちとどう向き合うか、という問題だ。

 日本会議は「国民が享受する今日の平和と繁栄」が「英霊の尊い犠牲の上に築かれた」ことを強調する。これは「国民が享受する今日の平和と繁栄」がありがたいものだということを前提にしている。だからこそ英霊に感謝の念を持たねばならないというわけである。けれどもこれは日本会議の現状認識とは正反対である。たとえば日本会議の設立宣言には現状を次のように規定している。

「しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向かいつつある」。

 ならば「英霊の尊い犠牲の上に築かれた」のはそういう社会だと素直に言わなければならない。本音では日本の現状を忌むべきものと捉えているのに、英霊を持ち上げる時だけは日本がいい社会になったことにしているわけである。これはご都合主義というべきであろう。

 ただ、それをいくら批判しても問題は解決しない、という。日本の侵略を批判する立場の人にとって、アジアの死者と日本兵の死者との扱いは分裂したままである。これを放置していては「日本会議」史観の広がりを防ぐことはできないと松竹は指摘する。

 そこで最後に結論的に「死者の分断の克服」なるものが提起される。それが具体的にいかなるものであるかは、あえてここに記さないでおこう。是非本書を読んでご確認いただきたいと思う。
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by syunpo | 2018-03-09 18:28 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「理性の政治/政治の理性」を重視しよう〜『なぜ政治はわかりにくいのか』

●西田亮介著『なぜ政治はわかりにくいのか 社会と民主主義をとらえなおす』/春秋社/2018年1月発行

b0072887_1924489.jpg なぜ政治はわかりにくいのか。本書は一見素朴なそのような疑問から出発する。なぜ政治はわかりにくいのか。西田亮介はその問いに対して二つの次元から答えを導き出そうとする。

 ①政治そのものに起因する問題②政治の外部に起因する問題──という仕分けである。

 ①に関しては、第一に、昭和から平成時代にかけて政治と社会それぞれが大きく変化したことが大きい。また、戦後の期間を通して「保守」「リベラル」などの現実政治を分析する概念装置の使われ方が反転し、従来から論争的であった概念装置そのものの自明性がますます不透明なものになったことも政治のわかりにくさの一つの要因になっているのではないか。西田はそのように指摘する。

 ②については、政治の外部すなわちメディア、教育と政治との関係が考察の対象となる。

 まず政治とメディアとの関係はどうだろうか。インターネットが普及する一方で、伝統的マスメディアにおいて重要な役割を果たしていた新聞が存在感を失いつつある。また政治家の側がメディアを通した情報発信の手法を改善し、生活者によい印象を与えるべく資源を投入した始めた。そこでは虚実ないまぜの情報が飛び交う。西田は現代の政治とメディアの関係を「慣れ親しみ」の関係から「対立・コントロール」の関係へと変化する移行期にあると見る。移行期における混乱が、私たちに政治をわかりにくくしている一つの原因とみるのである。

 ネットで得た情報の真偽をネットで調べてみたところで、それが本当に信頼できるかどうかはよくわからない。個人のメディア・リテラシーを期待しても、現実的にはむずかしいという。ではどうすればよいのか。

 西田は「暫定的な解」をやはりジャーナリズムに求める。「権力監視がジャーナリズムの本業であり存在理由だからです」。
 新旧のメディアが浸透しあって相互に影響する状態を維持しながら、権力監視の機能を強化して政治を少しでも国民に近づけていくしかないということだろう。

 さらにもう一つ義務教育を中心とした政治教育が十分に機能していないことも「政治のわかりにくさ」に関係している。義務教育の現場では、政治的中立性が強く意識される一方で、政治に対する批判的視線や権力監視について学べているとはいえない。学習してきた理論から大きく離れた事態を目にして、いきなり「投票してください」と言われても困るというわけだ。今後は真の意味での主権者教育の充実化が望まれる。

 私たちの情に訴えるアプローチはすでにあふれかえっている。人間の認知には限界があるとしても「それでもなお」理性の政治/政治の理性を重視すべきだという本書の結語は平凡といえば平凡だが、ここで奇を衒った処方を叫ぶような学者の方こそ信用できない気がする。

 同じ宮台真司門下の堀内進之介は『感情で釣られる人々』のなかで「理性的過ぎることが問題になるほど人類が理性的であったことは一度もない。理性それ自体への批判は重要だが、それは、いまだ十分に理性的でないことへの批判であるべきではないだろうか」と述べている。
「理性の政治/政治の理性」が未だ不充分ならば、その充実化を目指すほかない。
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by syunpo | 2018-03-06 19:28 | 政治 | Trackback | Comments(0)

永続敗戦レジームから脱却するために〜『白井聡対話集』

●白井聡著『白井聡対話集 ポスト「戦後」の進路を問う』/かもがわ出版/2018年2月発行

b0072887_1142638.jpg 今も参照されることの多い『永続敗戦論』刊行直後に白井聡が行なった対話の記録を収めた本である。対話の相手は、孫崎享、水野和夫、中島岳志、中村文則、信田さよ子、佐藤優、岡野八代、栗原康、内田樹、島田雅彦、馬奈木厳太郎、猿田佐世……と多彩な顔ぶれ。

 いずれも読み応え充分の対話がなされているが、すべてに言及すると長くなるので、以下とくに印象に残った対話について紹介する。

 近代保守思想を看板に掲げている中島岳志との対論では、グローバリズムによる世界の市場化に対して中島が国民国家の役割を強調しているのはやはり重要と思う。「市場を中心とした経済活動で、非市場的価値をもった最大のプレイヤーが国家。富の再分配をしたり、取引に関税をかけたり、規制をかけたり、極めて非市場的行為を行なうわけですから」とは言われてみれば当たり前の話だが、現実政治では資本と国民国家が露骨に一体化している現代だからこそ、中島の提起する建前を一蹴することはできない。また昨今の国民国家解体(弱体)論に馴致されてきた頭をリセットするにも格好の契機となる発言ではないだろうか。

 信田さよ子との対談では、臨床心理学の見地から昨今の反知性主義を批判的に検討している。昨今、臨床現場では米国仕込みの認知行動療法が定着しつつあるのだとか。それは「誰がやっても同じ効果を生むように構成されてカウンセリングの品質管理の徹底に貢献」したらしい。けれども信田は「日本のような均質性を重んじ同調圧力の強い社会でそれをやってどうなるんだろう」と疑義を差し挟む。認知行動療法と反知性主義を結びつける信田の議論には異論もありそうだが、凡百の反知性主義批判とは一味違うものであることは確かだろう。

 沖縄の問題を語りあった佐藤優との対論もなかなか熱い。いま琉球王朝時代の記憶が折に触れて表面化するのは「廃藩置県の失敗」を意味しているという佐藤の発言は刺激的だ。そうした歴史的経緯を踏まえて琉球独立の問題がかなり真面目に論じられているのは、対談当時(二〇一五年四月)のホットな政治状況をダイレクトに反映したものには違いない。ただ、その後の中央政権による暴政の加速化を知っている現在の読者からすれば楽観的にすぎると言うのは結果論になるだろうか。

 岡野八代との対談では、白井が社会学者・吉見俊哉の戦後日本論を参照して永続敗戦論を展開しているのが目を引く。つまり天皇を中心とした戦前の国体は、戦後、天皇の代わりに米国に入れ替わったにすぎない、という認識である。もちろんそこに岡野のフェミニズム的な視点が加わるので、より多角的な戦後論になっている。

 福島原発事故をめぐる「福島生業訴訟」の弁護団事務局長を務めている馬奈木厳太郎との対談にも学ぶところが多くあった。馬奈木の訴訟方針に関する発言を受けて「原賠法の目的は、原子力事故が起きた際には、四の五の言わずに賠償金を払うことで原発推進政策を維持するという点にあります」と白井が確認している点は核心をつくものだろう。二人の対論をとおして国民が政治のあり方を変えていくために必要なことは何か、多くの示唆が浮かびあがってくる。
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by syunpo | 2018-03-04 11:05 | クロスオーバー | Trackback | Comments(0)

親子関係にノイズをもたらす〜『ウンコのおじさん』

●宮台真司、岡崎勝、尹雄大著『子育て指南書 ウンコのおさじん』/ジャパンマシニスト社/2017年12月発行

b0072887_8374160.jpg 子育て指南書と銘打たれてはいるが、書かれていることはもっと広くて深い。単なる子育てのノウハウ伝授にとどまらない、広義の世直しの書ともいえる内容である。

 本書ではまず親たちにコントロールされた子どもたちの存在、いやそのような関係性に警鐘を鳴らす。コントロールされてきた娘が、母親となって、自分の娘をコントロールする。いわば「病理の伝承」が生じているというのだ。

 コントロールする/されるという関係が全面化すると「相手の悦びが自分の喜びになるから、それが動機づけになって行動する」という構えが失われる。親の歪んだ〈妄想〉によって育てられた子どもたちが増えれば、大人になったとき、社会がデタラメになる。そうしたデタラメな社会は制度の手直しでは治すことができない。

 では、本書にいう「ウンコのおじさん」とはいかなる存在なのか。その正体はようやく半分くらい読んだところで輪郭をあらわす。子どもたちの通学路で地面にウンコの絵を書いているヘンなおじさん。……それらしく敷衍すれば「いろいろな方角から親子関係のノイズになる力を働かせる」存在のこと。
「そうした力が働かないと、たとえ親が子どもをコントロールしようと思っていなくても、〈妄想の玉突き〉が生まれ、子どもがコントロールされてしまうのです」。

 損得よりも正しさ。カネよりも愛。

 けれどもいまの社会は「正しさ」への動機づけが枯渇し、他者をコントロールしたり支配したりするための損得、そのような計算のもとに知識が使われる。正しさへの動機づけは知識の伝達では調達できない。「体験による学び」で成長するほかないというのが本書の考えだ。それは今や人為的に設計するほかない。かくしてウンコのおじさんこと「体験デザイナー」の出番となる。

 自分が子どものころに体験したワンダーランドを再現する。たとえば一緒に昆虫たちを観察する。セミの羽化を観察するだけでも、生命への畏怖を感じることができだろう。理科系の好奇心と文科系の探究心を刺激する。「数日後には、すてきな絵画や、絵入りの観察記録や、作文ができ上がっています」。

 コストパフォーマンスだのリスクマネジメントだの損得勘定を持ち込むのは教育の劣化をもたらすだけ。繰り返せば、子育て指南書の体裁をとりながら同時に射程の広い社会批評にもなっているのが本書の醍醐味。勉強田吾作(ガリ勉)の官僚を批判し、デタラメな社会を糾弾する。体験せよ。自分が体験デザイナーになれないのなら、他を探して委ねよ。本書の提言は明快そのものである。
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by syunpo | 2018-03-03 08:40 | 社会学 | Trackback | Comments(0)

過激な知識人だった!?〜『聖徳太子』

●東野治之著『聖徳太子 ほんとうの姿を求めて』/岩波書店/2017年4月発行

b0072887_19584068.jpg 聖徳太子といえば日本人にはおなじみの歴史上の人物である。ところが、昨今、日本史の教科書での扱いをめぐって政治家が容喙するなど、その評価に関する論争は政治的な色合いをも帯びるようになってきた。

「聖徳太子の特異な点は、その没後、歴史的な事実から離れ、人物像が極めて伝説的に変貌していったことです」と東野治之はいう。太子に関する歴史論争はそれこそ歴史的に繰り返されてきたのだ。本書はそのような中で、歴史学の最新の研究成果を参照しつつ太子の「ほんとうの姿」に迫ろうとするものである。

 太子は政治家としてどれほどの働きをしたのだろうか。基本的には蘇我馬子と共同統治を行なっていたとみられている。単独の業績としては、十七条憲法の作成と仏典の講義と注釈を行なったことが挙げられる。十七条憲法はもちろん近代の憲法とは違って公権力を縛るようなものではなく、朝廷に仕える人々を対象に心得を示したものである。そうした点から、政治家として中央集権的な政治を目指し、ある程度主導権を発揮していたと推察される。

 太子を語る場合、さらに重要なこととして日本仏教の始祖といわれている点にある。たしかにその仏教理解は当時としては革新性をもっていたと東野は指摘する。

 太子の仏教は徹底した大乗仏教という点にあった。大乗仏教とは「一個人の悟りを求めるのではなく、生きとし生けるもの全体の救済を目標とする考え方」である。仏教によって社会を文明化し導こうという気運が盛り上がっていた当時とすれば、理にかなった考え方だったといえるだろう。

 大乗仏教を信仰の基本の根本に据える姿勢は、これ以後、朝廷の仏教政策のバックボーンとなったので、太子が日本仏教の祖と仰がれ続けたのも「至極当然」と東野は評価している。

 行動的ではないが、頭は冴え、自分のポリシーをもって外来文化を取り入れる。その意味では「過激な知識人」というのが東野の抱いている太子像である。

 以上のような太子像をめぐっては、既述したようにその後の歴史において、前提となる史実の認定をふくめて様々な評価の変遷をたどってきた。江戸時代にはその仏教的教養が忌み嫌われ、とりわけ国学・儒学系の学者たちからは評判がよくなかった。あげく彼らのなかには十七憲法の内容を捏造する者まであらわれた。太子が作った憲法は一つではなく五種類あったという説をデッチ上げ、「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」とあるのを「三宝とは儒・仏・神なり」と改竄した本まで登場したのだ。
 歴史論争が学問的意匠を装いつつ、しばしば政治的な要素を抱え込むのはいつの世も不可避ということなのだろう。

 本書は岩波ジュニア新書の一冊だが、内容的には法隆寺の釈迦三尊像に刻まれた銘文などの資料の信憑性検討をはじめ、かなり高度で専門的なものになっている。太子の人物像を描くに際してもバランスのとれた手堅い書きぶりだと思う。聖徳太子の概略を知るうえでは最適の入門書といえるだろう。
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by syunpo | 2018-03-01 20:00 | 歴史 | Trackback | Comments(0)