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皇帝ナポレオンを脅かした女性〜『政治に口出しする女はお嫌いですか?』

●工藤庸子著『政治に口出しする女はお嫌いですか? スタール夫人の言論vs.ナポレオンの独裁』/勁草書房/2018年12月発行

b0072887_19501841.jpg フランス革命の前後、サロンを中心に精力的に言論・出版活動を展開した一人の女性がいた。女性が公然と政治を語ることはまだまだ憚れる時代に、臆することなく政治的議論に加わり、皇帝ナポレオンを脅かしたという。ジェルメーヌ・ド・スタール。一般にスタール夫人と呼ばれるこの女性の活躍は、二〇世紀が産んだ偉大な政治哲学者、ハンナ・アレントに一本の道筋をつけたようにも思われる。

 当時のフランスにおいてサロンは独特の空間であったらしい。アレントの〈公共圏/親密圏〉という概念が援用されることで、歴史的な意義がより鮮明に浮かびあがってくる。

 サロンはカフェと異なり、断じて万人に開かれた「公共圏」ではなかったが、外部から遮断された「親密圏」ともいいがたいものだった。裏返していえば「『若い男女の小さなソサエティ』としてのサロンの営みは『公共圏』と『親密圏』の両方に開かれ」たものだったのだ。

 そこでスタール夫人は、「公開性」や「世論」、「自由」や「個人」をキーワードに自由闊達に政治について仲間と語りあったのである。波乱の時代にあって、各方面から非難されることもあったようだが、啓蒙主義によってもたらされ、後には「民主主義」の要諦となる語彙の「繊細な運用」を示し続けたのである。

 そこで重要なのは、スタール夫人は「語る」だけでなく「書く」ことにも注力した点だ。当時にあっても、サロンでの朗読と書物の出版のあいだに、女性のみを対象とした厳しい「禁止」のラインが引かれていたが、彼女は果敢にそのラインを踏み越えていったのだ。

 革命期のサロンにおいて女たちによって「語られた言葉」について証言し、その政治的な意味を分析し、「書かれる言葉」によって後世に伝えたのは、スタール夫人だけだった。(p44)

 もっとも革命が恐怖政治に変わり挫折した後に登場したナポレオンによって、サロン文化は衰退していく。「公共圏=政治=男性」vs.「親密圏=家庭=女性」という二元論的な秩序が「ナポレオン法典」とともに市民社会に定着することになる。

 ナポレオンによって破壊されたのは、啓蒙の精神と雅な男女関係に培われたサロン文化の伝統だけではない。女性の公共圏での政治的発言が封じこめられたのだ。スタール夫人は、不穏な勢力にかかわったとみなされてフランスから追放される。

 それでも、レマン湖の畔コペのサロンに移ったスタール夫人は、語り、書くことを断念することはなかった。ナポレオンという名前を決して書かずにナポレオンが体現する理念や体制を間接的に批判するという巧妙な道をスタール夫人は選んだ。ひと言でも皇帝への賛辞を公表すれば、ただちに追放を解くという内々の働きかけにもかかわらず、意地をつらぬいたのだ。ちなみにスタール夫人の遺著となった「革命論」は、積極的に革命と王政の宥和をめざす野心的な試みでもあったという。

 著者の工藤庸子は、フランス文学やヨーロッパ地域文化研究を専門とする研究者。本書ではスタール夫人が書いたテクストを読み解いていくにあたってアレントの著作を随時参照していく。二人を並べることによって「女性解放のロール・モデル」としてのスタール夫人像がいっそう鮮やかに立ち上がってくるように感じたのは私だけではないだろう。
by syunpo | 2019-02-23 19:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

自分が自分らしくあることを肯定できる唯一の知性〜『天然知能』

●郡司ペギオ幸夫著『天然知能』/講談社/2019年1月発行

b0072887_17264051.jpg 人工知能。自然知能。天然知能。本書ではこの三つの知能のあり方を比較衡量する。そして天然知能だけが「自分で見ることのできない向こう側、徹底した自分にとっての外側を受け入れる知性であり、創造を楽しむことができる知性である」ことを示す。本書のコンセプトは明快だ。

 郡司は、世界に対処する仕方の違いから「知能」のあり方を三つに分類して話を進める。

 人工知能。……自分にとって有益か有害かを決め、その評価のみで自分の世界に帰属させるか排除するかを決定する。
 自然知能。……自然科学的思考一般を指す。世界を理解するために、博物学的・分類学的興味から世界に対処する。
 天然知能。……ただ世界を受け容れるだけ。評価軸が定まっておらず、場当たり的、恣意的で、その都度知覚したり、しなかったり。

「自分にとっての」知識世界を構築する人工知能。「世界にとっての」知識世界を構築する自然知能。対して、天然知能は「誰にとってのものでもなく、知識ですらない」。
 例に挙げているのは、子供の頃、ドブ川でナマズを捕っていた著者自身のすがたである。「食べるためでも、博物学的興味からでもなく、ただ魚を捕り、しばらく飼っては、近くの沼に逃しに行っていました」という一見他愛もない体験にこそ天然知能は宿っているらしい。

 人工知能や自然知能を否定するような地点に立つことはありふれたことかもしれない。その後どうするか。理性の暴走を戒めたり、論理では割り切れない神学的世界へ赴いたりするのは陳套だが、理学博士の手になる本書ではもちろんそのような方向に向かうことはない。あくまでも理詰めに話を展開していく。天然知能それじたいは「天然」でも、その可能性の追究に関しては合理的な思考のうえを歩むのである。

 郡司は三つの知能について様々な角度から時に先人の知見や実験、さらには現代詩などを引いて思索を経たうえで、天然知能の可能性を提示する。内容的には自然科学の次元を超えた哲学書といっていいだろう。後半では思弁的実在論や「新しい実在論」にも言及するなど世界の哲学シーンの最先端への目配りもきいているが、全体をとおして私にはいささか難解だった。その意味では本書を充分に堪能したとまでは言えない。

 ただそのなかで興味深く感じたのは、本書にあっては、言葉もまた「天然知能」であり、神経細胞もまた「天然知能」として認識されている点。その認識に至る理路もまた私にとっては必ずしも理解しやすいものではなかったけれど、何やら私のような凡人を勇気づけてくれるような気がしたことも確かである。
by syunpo | 2019-02-16 17:27 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

〈参加型権力〉を相対化する〜『やっぱりいらない東京オリンピック』

●小笠原博毅、山本敦久著『やっぱりいらない東京オリンピック』/岩波書店/2019年2月発行

b0072887_20502776.jpg 二〇二〇年東京オリンピックについては、招致活動の段階から反対意見が少なくない。開催が決まった後も返上を主張する声があちこちから聞こえてくる。


 本書は岩波ブックレットの一冊で、五輪が日本社会に及ぼしている/及ぼすであろう影響についてしっかり考える基本的な材料を提供するものである。共著者としてクッレジットされている小笠原博毅は文化研究、山本敦久はスポーツ社会学を専門とする研究者。

 もっとも今さら東京五輪の開催を揺るがすようなスタンスには当然ながら反論が予想されるだろう。一度決まった以上は「後戻りできない」のだから、「新しい発想で」、「別の楽しみ方を」探るべきではないか──という一見前向きな意見がその代表だ。それこそが大人の態度だと考える人も多いだろう。

 本書ではそういう人を「どうせやるなら派」と命名し、やはり批判の対象にしている。そのような態度は「二〇二〇年東京大会を開催することの矛盾や問題を覆い隠すだけでなく、むしろ開催の推進力になる」からだ。

 このような、オリンピックを開催するためには不都合な真実は見て見ぬふりをし、「どうせやるなら」と「参加」するあり方が拡散し多様化することによって、オリンピックとは誰が準備し、誰が主体で、誰が責任をもって開催するのかという、あらかじめ明らかにされていてしかるべき答えがますます曖昧なものになっていく。(p15)

 本書で五輪批判の論点となるのは、以下の四点。

 復興五輪を掲げることの欺瞞と経済効果への疑義。

 参加と感動をうたうことによる権力の作動。

 暴力とコンプライアンスの関係をめぐるオリンピックの支配。

 言論の自主統制と社会のコントロール。

 経済効果については当初から疑義を呈する声は多い。アメリカの政治学者ジュールズ・ボイコフは五輪費用をめぐる際限のない経費膨張を「祝賀資本主義」と呼んで批判的に論じている。コストに見合うだけの経済効果が得られるかはまったく保証の限りではない。投資回収がうまくいかなかった時、債務を引き受けるのは公金を初期投資した公共セクターである。民間企業への不利益は最小限に留められる。

 東京五輪では多数の無償ボランティアが募集されている。参加を呼びかける声は外見上は強制的ではない。そこでは、経済的見返りではなく「やりがい」や精神的報酬などが強調されている。
 成就する保証もない「夢」や「希望」に人びとが賛同していくからくり。社会学者の阿部潔は、その矛盾を埋めるのが「感動」だと指摘している。現実の不満を未来へと先延ばしにして、将来の感動を約束し、夢や希望といった喜びの感情を投企させる仕組み。──本書ではそれを「参加型権力」と呼び、批判する。市民を無償労働に駆り立てながら、莫大な利益を目論む民間企業が存在していることに違和感を感じる国民は多い。

 スポーツの祭典としての五輪が現実にどのような影響をスポーツに与えてきたかを正面から問う議論もなされている。前回の東京五輪がもたらした五輪至上主義を批判するくだりにはとりわけ説得力を感じる。

 五〇年代の後半、まさに東京オリンピックの開催が決定する時期になると、自由や自治や個性に向けられていたスポーツは方向を変えはじめる。戦前の軍国主義を反省せずに、再び競技性の重視や競技力向上へと舵が切られていくのだ。(p42)

 その過程で、競技力向上の末端の舞台となった学校の部活動に、戦前に競技をしていたOBたちが指導者として参入してきたという。戦前の軍国主義的なスポーツ観が戦後に入り込む土壌が出来上がったのだ。勝利至上主義や競争原理という文脈においては、暴力は「熱血指導」などのフレーズとともにむしろ美談として語られ、根性主義を美化してきた。

 二〇二〇年東京五輪では「勝利至上主義」「上意下達の集団主義」などの古臭いスポーツ観は一掃すると関係者によって言明されているが、それがそもそも過去の五輪によってもたらされた風潮だということはすっかり忘却されている。あるいは忘れたふりをしている。
 五輪はスポーツにおける暴力を制御したり意味づけたりする力をもってきた。「昨今のコンプライアンス支配は、オリンピックによるスポーツの支配の一形態でもある」のだ。

 五輪をめぐる言論の自主統制に関する論考は著者自身の体験談も盛り込まれているのが興味深い。通信社配信の記事で五輪に批判的な談話をしたところ一部の紙面では割愛された事例を引き、「オリンピックそのものの是非を問う言論は存在感を薄めざるをえない状況」が作られていることを指摘している。
 またネット上では盛んに論じられていることだが、四大全国紙が東京大会のオフィシャル・パートナーになっているのはやはり大きな問題だと思われる。本書でも「様々な問題点や疑問点を問題提起し、論じることが期待されているはずの言論メディアにとって、その機能と役割を自ら制限する足かせとなっているのではないか」と疑義を呈しているのは多くの読者の気持ちを代弁するののだろう。

 何はともあれ、本書の意義は、当初の理念から逸脱して肥大化してしまったオリンピックについて再考するための資料というにとどまらないものだと思われる。やや大きく構えて言うならば、動き出したら止まらない日本の政治に一石を投じる意味でも、また同調圧力の強い日本社会の風通しをよくするうえでも、本書のようなブックレットが世に出ることは歓迎すべきことではないだろうか。
by syunpo | 2019-02-14 20:52 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

商業主義の主流化にいかに対抗するか〜『メディア不信』

●林香里著『メディア不信 何が問われているのか』/岩波書店/2017年11月発行

b0072887_9594977.jpg インターネット上では新聞やテレビなど老舗メディアに対する批判は鉄板ネタといっていい。少々言いがかりめいた内容でも多くの「いいね」がつき、拡散されていく。もちろん批判とは対象に対する愛着の裏返しでもあるから、メディア批判がただちに「メディア不信」を意味するわけではないだろう。ゆえに「メディア不信」という現象を社会問題として解明しようとするならば、その内実をきちんと検証する必要がある。

 というわけで、本書では国際比較研究の知見をもとに、ドイツ、イギリス、米国、日本の四つの国における「メディア不信」の実態を見ていく。「メディア不信」と一口に言っても、国や地域ごとにかなり内容を異にしていることがわかる。

 ドイツにおける昨今の「メディア不信」はもっぱらリベラル・コンセンサスに偏向しているとの右派からの攻撃に根ざしているという。日本でいえば政権界隈の人々が朝日新聞や沖縄県の新聞を目の敵にしているのとほぼ同じイデオロギー的な態度と考えればいいだろうか。

 イギリスでの「メディア不信」については、EU離脱とメディアの関係を軸に考察を進めている。権力の監視機能を問題にするとき、英国内のメディアは欧州委員会や欧州議会をいかにチェックしているかが問われることになる。ナショナルな枠組みで編成されているメディアがそれらを監視する体制は手薄を言わざるをえないだろう。

 いささか複雑な様相を呈しているのは、BBCへの批判内容だ。BBCは、離脱か残留かという二者択一の議論について「バランス」を重視するあまり、議論の内実を掘り下げる努力を怠り、国民の知る権利に応えていなかったという意見が強いのだという。
 しかし後段では「BBCも、政党や政治家の動向の報道が中心となり、一般市民、とくに『置き去りにされた』人々の目線でのEUに関する情報は後手に回ったと言えよう」と著者は総括している。「エリート」と「置き去りにされた人々」という対立図式においては逆にアンバランスな報道しかできなかったということなのだろうか。私がBBCの記者ならば、どうすればよかったのか途方に暮れるだろう。

 米国における「メディア不信」も社会の分断を背景にしたもので、かなり政治的な要素を含んでいる。トランプ大統領が「フェイク・ニュース」と称して主導するメディア批判ははたして「批判」の名に値するものか甚だ疑問で、政治的言動のバリエーションと見た方がいいのではないかと思われるのだが。

 翻って日本の場合はどうであろうか。林は各種の調査結果から「メディアを信頼する」状態から外れる者たちは「不信」よりは「無関心」に陥っていると指摘している。日本では、ニュースにはそこそこ関心があるもののメディア産業の構造への関心が薄く「メディア不信」はさほどテーマになっていない、というのだ。

 全体をとおして情報空間における商業主義の主流化とポピュリズムの台頭が共通項として取り出せる現象であることが浮かびあがる。また日本ではメディアをめぐる議論に市民の影が薄いことが他の国の様相とは異なる。それはおそらく政治への無関心とパラレルの傾向だろう。

 また上でも少し触れたように、ドイツやアメリカにおける右派ポピュリストたちの言説がメディア批判を装っているのは他国でもみられるありふれた現象で、右派による政治的主張にメディアが敵役として利用されているような印象が拭えない。それらはメディアの問題という以上に政治問題としての要素の方が色濃いように感じられる。その意味ではメディアの努力だけではどうなるものではなく(というより正当な努力をすればするほど右派ポピュリズムからは不興を買うだろう)問題はよりいっそう深刻である。

 ちなみに私が個人的に抱いているメディア不信は、第二次安倍政権発足以降、おしなべて公権力を監視する機能も意志も弱体化していると思われる点に起因する。その問題こそメディアの本分に関わる問題だと思うのだが、その点に関するまとまった検証がとくに行なわれているわけではない。「メディア不信」と括られる現象のそれぞれのお国事情を知るうえでは興味深い事例も報告されてはいるものの、全体的には今ひとつピンとこなかったというのが私の正直な感想である。
by syunpo | 2019-02-11 10:03 | メディア論 | Trackback | Comments(0)

大自然の理法に感嘆する〜『雪を作る話』

●中谷宇吉郎著『雪を作る話』/平凡社/2016年2月発行

b0072887_8513011.jpg 科学者の手になる名随筆といえば、まずは誰もが寺田寅彦の名を想起すると思われるが、中谷宇吉郎は寺田の門下生である。本文中にも何度か寺田の名が出てくる。サイエンスの道のみならず、文筆の方面でも弟子は師のあとを継いだといえるだろうか。

 中谷が物理学者としてどの程度の業績があるのか私は詳しいことを知らない。もともと電気火花の研究をしていたのだが、北大理学部に着任直後には雪の研究に没入していたらしい。戦前の一九三五年に常時低温研究室を作り、翌年には人工雪の製作に成功したとある。

 人工雪も天然雪も同一の結晶であることを確かめられたときの中谷の述懐は実に味わい深い。決して自慢口調にはならず、むしろ自然への畏怖の念がにじみ出るところが素晴らしい。

 ……人工雪も矢張り雪であった。低温室の片隅においてある簡単な硝子管の中でも、大自然の理法は、その中に吹雪の天空を再現してくれることもある。これも天の恵みの一つであろう。(p65)

 かと思えば、北海道の戦後開発をめぐる一文などはピリリとスパイスがきいている。もちろん安全な場所から政治に論及するばかりではない。たとえば科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作ることを可能ならしめた。今後再び核兵器で無辜の人間が殺されるようなことが起った場合、科学者の責任をどう考えるべきか。中谷は書く。

 ……それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである。(p157)

 この明快な態度もまたいかにも科学者らしいものではないだろうか。

 冬の寒い日に温かいコーヒーでも飲みながら読むのに恰好の一冊かもしれない。
by syunpo | 2019-02-09 08:55 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

受容者層の変遷に着目した異色の音楽史〜『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』

●片山杜秀著『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』/文藝春秋/2018年11月発行

b0072887_12272433.jpg 音楽の歴史には人類の歴史そのものが刻まれている。とりわけ音楽の受け取り手である教会、宮廷、市民層の変遷は、まさに政治、経済、社会の歴史にほかならない。本書はそのような認識に基づき、音楽批評にも健筆を振るっている思想史研究者の片山杜秀がクラシック音楽の歴史を語りおろしたものである。

 ヨーロッパの音楽史で、中身がある程度はっきりしたかたちで今に連続していると考えられるのは、中世に成立したといわれるグレゴリオ聖歌である。伴奏がなく人間の声のみで歌われるのが基本形。メロディは今日の感覚からすればとても単調に聴こえる。それは人間にとって楽しいかどうかが問題ではなく、神の秩序すなわち「ハルモニア・ムンディ」を反映した音楽だから。

 宮廷音楽は壊滅することがあるが、宗教音楽はその宗教ある限り残る。キリスト教はもちろんヨーロッパの歴史を貫いて信仰されてきた。クラシック音楽の権威性のルーツはグレゴリオ聖歌に端を発する教会音楽にある。それはキリスト教の権威を示し、神の秩序をあらわす最高の道具だった。この宗教音楽としての特性は、その後、クラシック音楽が世俗化しても脈々と引き継がれていく。

 グレゴリオ聖歌のモノフォニー(単旋律)の世界の後に、ポリフォニー(多声音楽)と楽器の多様化現象があらわれる。そのきっかけとなったのはオルガヌムという唱法である。それは単旋律に同じ旋律をダブらせるところから始まったとされている。その背景には十字軍遠征による東方からの影響などが考えられる。

 グレゴリオ聖歌を歌うのは修道士や神父たちで、聴衆は聖職者たち自身であり、ミサなどに参加する信者だった。その状況を大きく変えたのは十六世紀に始まる宗教改革である。

 宗教改革の口火を切ったマルティン・ルターは音楽にも通じていたことはよく知られている。教会で歌う歌もラテン語の聖歌ではなく、ドイツ語の讃美歌に代えていった。重要なのは、グレゴリオ聖歌からポリフォニーの教会音楽までは修道士や神父が歌い、信者は聴く立場だったのが、宗教改革以後、プロテスタントでは信者たちが自ら歌いかつ祈る、いわば参加型のスタイルに変わっていったことだ。

 さらに宗教改革の音楽の特徴として、独唱・独奏が重視されるようになったことも挙げられている。

……宗教改革は、民衆が主体的に信仰と音楽に参加していくコラールの「参加の原理」と、私に与えられた天職をまっとうし、ひとりで歌い、一対一で神とつながろうとする独唱の「個人の原理」という二つの方向性をもっていたといえるでしょう。(p72)

……そこでは、神の秩序を表象するパノラマのような音楽から、個人を主体とした参加と、魂の叫びとしての音楽への大転換が起きていました。近代の自由主義や民主主義を用意する音楽が登場したのです。(p73)

 この時期、ローマ教会の絶対性が揺らぐ過程で、もうひとつ、神の秩序を目指す音楽から離れ、人間の感情をストレートに表現する音楽ジャンルが誕生します。オペラである。

 ルネサンス期には、個の感情の爆発、官能性の表現、ギリシア神話などに姿を借りて現実の人間世界がテーマとなり、世俗の舞台で堂々と演じられるようになった。オペラの誕生は、こうした音楽の世俗革命だったといえる。

 教会とともに音楽のパトロンとなったのは現世の権力を握った王侯貴族たち。彼らは専属の音楽家を雇って自分たちのために作品をつくらせ、自分たちの屋敷・別荘などで演奏させた。その時代に登場したのが、ヨハン・セバスティアン・バッハ、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルらである。またゲオルク・フィリップ・テレマンの活躍も無視できない。彼は公共の世俗的催事のための音楽、教会音楽、オペラなどの娯楽作品などを次々とつくった。まさに市民の時代の幕開けを象徴するような作曲家であったのだ。

 バッハは当時、テレマンほどの人気はなかったという。かつてのポリフォニーの音楽の時代にこだわる古いタイプの音楽をつくっていたから。フーガやカノンなどの対位法的な手法を徹底的に使って音楽を緻密に数学的に織り上げていくことにこそ、音楽の本分があると信じていた。しかしそれは時代錯誤なことだった。

 十八世紀になると、商業経済の活発化に伴い、大都市圏では市民層が主役になっていく。ドイツやオーストリアなどではまだ領主たちの力が強かったが、宮廷音楽家を養っていくことは次第に困難になっていった。その就職難の波をまともに受けたのがモーツァルトである。彼の生涯の大半は、ヨーロッパ中の宮廷をまわる就職活動に費やされたといっても過言ではないらしい。「ハイドンやモーツァルトが変わったのではない。作曲家の商売相手が変わった」のだ。

 十九世紀に入ってようやく作曲家は自立できるようになる。その頃には市民層の拡大により、音楽教師の需要も高まる。ベートーヴェンはそんな時代に生まれた偉大なる音楽家だった。

 片山は、ベートーヴェンの音楽を三点に要約している。
「わかりやすくしようとする」「うるさくしようとする」「新しがる」──かなり大胆なまとめ方ではあるが、解説を読めばなるほどと思う。ベートーヴェンの時代に音が大きくなった社会背景として片山は都市化と革命と戦争を挙げている。そうしたコンセプトのうえに成立した「第九」は、当時の「市民の音楽」の最終形態であり極限形態だというのが片山の見立てだ。

 その後、ロマン主義の時代が到来する。ポスト・ベートーヴェン時代の市民は生まれながらの近代ブルジョワで「芸術の権威、音楽の高尚に、市民社会における神の等価物」を求めるようになる。クラシック音楽の権威化がすすむ。音楽学校というシステムが成立し、音楽理論も煩雑化していく。
 ロマン派の本質は「旅」にある。ここではない何処かに憧れて彷徨うこと。それがロマン派の精神。この頃に台頭した「教養市民」が高尚な芸術に憧れる姿はまさにロマン派そのものだと片山はみなす。

 そして手の届かないものへの渇望に強烈なナショナリズムを強力に結びつけたのがリヒャルト・ワーグナーである。ワーグナーの音楽は、近代と土着のナショナリズムによる統合であった。それがドイツという非常に強力な国家の形成に貢献したのである。

 そのような十九世紀を経た後、クラシック音楽は「洗練」と「超人志向」の二つの流れを生み出す。市民社会のひとつの完成や行き詰まりとしての「洗練」と、その壁を踏み越えさらなる進化を目指す「超人志向」。
 演奏家はクライスラーのように、趣味の良い典雅さの中に微妙なニュアンスを込めるスタンスが高く評価されるようになる。「超人志向」の音楽としては、ワーグナーにつづいてグスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスなどが現れた。

 第一次世界大戦は音楽の世界をも当然ながら大きく変える。もはや進化も超人も決定的にリアリティを失う。音楽は刹那的で享楽的なものになる。ジャズはその代名詞である。クラシック音楽の世界では、新古典派音楽が登場し、さらに前衛音楽が生み出される……。

 シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ラヴェルがそれぞれ表現しているのは、壊れた世界で、周囲も見えぬまま、我を忘れて熱狂し、時間も空間もすっかり分からなくなって、バタンと倒れて、それでおしまい、という世界です。これぞ二十世紀のクラシック音楽が第二次世界大戦の前の段階で到達した姿です。その世界の、まさにサーカスの綱渡りのような延長線上に、われわれは今日も生きているのです。(p234)

 音楽家の音楽観や精神性などにスポットを当てた音楽史はこれまで数限りなく書かれてきた。本書のように音楽の受容層の変遷に着目したものは類書にはないユニークな特長といえるだろう。なるほどいかに優れた才能といえども社会から隔絶されたところから芽を吹き出すことはない。とりわけクラシック音楽というジャンルは、演奏され人に聴かれるためには、多くの労力と金銭を必要とする。片山の音楽史観はこうして一冊の本にまとめられると、至極説得的なものだと思われる。中公新書から出ている岡田暁生の凡庸な『西洋音楽史』に比べると段違いの面白さといっておこう。
by syunpo | 2019-02-06 12:30 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

柳田國男の限界と可能性〜『公民の民俗学』

●大塚英志著『公民の民俗学』/作品社/2007年3月発行

b0072887_12123798.jpg 柳田國男の民俗学は「伝統」の創造に大きく加担する一方で、近代日本における「公共」概念をいかに形成すべきかという技術論としての側面を持っていた。ここでいう「公共」とは「自分のことばと思考を持った『個人』としての有権者」によって担われるものであり、「正しい民主主義システムの担い手たる個人」を基礎とするものである。

 大塚は柳田民俗学のそのような両義性に着目し、日本の近代化の過程で「伝統」がいかに創られたか、その一方で「公共」がいかに構想され不成立だったのかを検証する。後者に関しては柳田のテクストに可能性を読み取りながら、現実には残念な変遷を遂げていったことが跡づけられる。

 柳田の妖怪論をめぐる論考がおもしろい。大塚によれば柳田の妖怪論は当初は「多民族国家論」としてあったという。それは近代日本の拡張政策に対応するものでもあったが、時代の変転とともに柳田の論調も変わっていった。期せずして日本の「伝統」的なものへと結合してしまったのだ。

 柳田の妖怪論で最も古いのは「天狗の話」である。柳田は初めは天狗への関心を太古の昔からあるものの「実質」へと差し向けた。徳川時代の随筆とか明治になってから展開されるようになった議論ではなく、日本人の信仰上の「伝統」としての固有信仰を見ようとしたのである。

 ところが、柳田はそこから天狗先住民説へと転換していく。その過程で台湾の先住民族をイメージしていたことに大塚は注目している。柳田は、大和朝廷の先住民制圧を、台湾山人への植民地支配との対比で平然と論じたのである。その理路において先住民としての天狗は「山人」の名に変わっていくのだ。

 ……天狗への関心として始まった「妖怪」論は、異民族の統合という政治的課題を新たに抱えた明治国家の官僚・柳田國男の手にかかり、「台湾」という植民地への政策を、日本列島におけるまつろわぬ民の帰順の歴史と接続するものへと大きく書き換えられる。(p92)

 さらに、幽霊や怪談の流行が日露戦争による兵士の犠牲と関連づけて論じたうえで、柳田民俗学の道行きを浮き彫りにするくだりが文学との比較で言及されていて示唆に富んでいる。

 まず近代に入って日本を後進国たらしめていた迷信を撲滅しようという動きが顕在化する。自然な流れであろう。が、それと同時に怪談や幽霊への関心も高まった。日露戦争で多くの犠牲を出したことを背景に、戦死者を靖国神社に祀ることで「幽霊」を国家管理していく思考が制度化される。「死者」への感情は、国家が管理に乗り出さなくてはならないほどに人々の中に広がっていったのである。

 そのような戦死者への関心が「幽霊」を復活させた世相は、漱石の「琴のそら音」の中でも語られている。そこでは死んだ妻の幽霊が戦地の夫に会いに行くという物語が語られている。日露戦争をめぐる「死」への不安が「幽霊」を再興してしまったことへの困惑は「余」は独白するのである。

「幽霊」について考えることは、本当であれば「死者」と「国家」の関わりについて考えることでなくてはならなかった。だが「幽霊」と「国家」の関係は回避され、文士たちの「怪談趣味」としてかろうじて記憶されるのである。つまり文士たちの「怪談の時代」とは、文学者たちのこの問題からの逃避としてあったと考えられるのだ。

 その中にあって柳田國男の妖怪論だけは、大塚に見立てによれば植民地政策論という「国家」にとっての怪談論に確実に変容していったわけである。

 後半では、「公共」に関する柳田の構想について検討を加えていく。
 柳田は大正時代の一時期、国際連盟の委任統治委員としてジュネーブに滞在した。ジュネーブから帰国後は朝日新聞社に改めて所属し多くの社説を執筆したことは周知の事実である。家永三郎が、この時期の柳田を美濃部達吉や津田左右吉と共に「大正デモクラシー思想の先鋭な表現者」と見なしたのは注目に値する。

 柳田が当時考えていた公共性は、前近代的な「村」ともナショナリズム的な「国家」とも違う、パブリックな何かであった。それを実現するのが「選挙」であると柳田は説いた。普通選挙が実施されても、地域の有力者のもとで人々が群れ意識から抜け出せずに投票が行われている限りは公共性の実現の手段としての選挙は不可能だと柳田は考えた。

 そのためには「多くの無意味なる団結を抑制して、個人をいたん自由にする」必要がある。「群れる」ことを断念し「個」であることで初めて「公民」たりうると説く柳田はたしかに「大正デモクラシー」の体現者であった。

 柳田國男の民俗学の本質を山人や被差別民といった「非常民」から、代表的日本人としての稲作民たる「常民」への研究対象の転換とみるのは、ほとんどの柳田論の定説というか大前提だが、その二つにはさまれるかたちで、まだ、この時点では「民俗学」を名乗ることを躊躇する柳田の民俗学に束の間、「公民の民俗学」があったことは、やはり柳田の可能性として評価すべきだとぼくは考える。(p118〜119)

 しかし大恐慌による経済の破綻は、人々に「個」として自立した「公民」たることより、「群の快楽」に身を委ねることを選択させてしまう。そして柳田の「公民の民俗学」もまた、そのような風潮に否応なく呑み込まれて後退していったのである。大塚は一つの具体例として、戦前の農山漁村経済更生運動と民俗学との結合を挙げている。

 一九三二年に始まる農山漁村経済更生運動は一種の構造改革で、「産業ノ経済ノ計画的組織的制約」を課そうとするものであった。それは同時に農村の「固有ノ美風タル隣保共助」の復興であった。村社会の共同性を再生させて、問題を解決させてしまえと言うのである。しかし柳田はこのような「群を慕う」感情はともすれば「公民」としての「個」の確立の妨げになると考えていた。しかし皮肉なことに、この経済更生運動は結果として柳田の民俗学と深く結びついていった。

 村々が自発的に作った「経済更生計画書」の中には、自らの村の実体把握のための調査がプログラムの中に含まれていた。それは柳田が自らの方法を「民俗学」という体系として、理論に基づく実践として立ち上げていこうとするタイミングと一致してしまったのだ。

 大塚の記述はその後さらに詳細な分析を重ねており、柳田が単純に当時の国策と手を携えたわけではないことは理解しておく必要があるだろう。
 とはいえ、柳田が「伝統」を無批判に信奉することを批判しながら、「伝統」が「社会の理想」であることには全く疑問をはさまなかった事実を指摘することも大塚は忘れない。

 民俗学という学問そのものは、どの国家においてもロマン主義的文学に出自を持ちナショナルアイデンティティの確立という時代的要請の中で生まれた。そしてそのような要請そのものが歴史的な所産である以上、歴史上の要請が終わった時、民俗学が近代の後半にあって衰退していくのも自然のことである、と大塚はいう。そのうえで、大塚は自身の師匠にあたる千葉徳爾の考え方に立脚していることを明らかにしている。

 しかし、それでも尚、生きのびようとするなら「国家」という自らもまた加担して創り上げたものを民俗学者はその対象から消去すべきではなく、そして「伝統」の創造とは異なる「国家」との関与の仕方がありうると千葉は考えていた。ぼくが柳田が民俗学が否応なく国策科学化していく直前に示したもう一つの民俗学のあり方を「公民の民俗学」と呼び評価するのは、千葉の『民族のこころ』での主張にほんのわずかに論を付け足したに過ぎない。(p210)

 なお本書は二〇〇四年にちくま新書から刊行され、その後絶版になった『「伝統」とは何か』の改訂版である。
by syunpo | 2019-02-03 12:15 | 文化人類学・民俗学 | Trackback | Comments(0)