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「楽問」としてのサイエンス〜『35の名著でたどる科学史』

●小山慶太著『35の名著でたどる科学史 科学者はいかに世界を綴ったか』/丸善出版/2019年2月発行

b0072887_19341479.jpg 自然科学の本は文系人間には時にとっつきにくい感じがするものだが、本書は何よりもコンセプトがいい。科学の歴史に刻まれた名著をピックアップして、簡明に科学史的な位置づけを解説していくというシンプルな作りが好ましい。

 科学の転換点と言われる一六~一七世紀の「宇宙と光と革命の始まり」から説き起こされる。バターフィールドの『近代科学の誕生』、コペルニクスの『天球の回転について』、ケプラーの『宇宙の神秘』、ガリレオの『星界の報告』『新科学対話』などなどおなじみのビッグネームがこの時代の名著を残している。

 一八世紀に入ると近代科学の輪郭がいっそう鮮明になる。
 ニュートンの『プリンキピア』はケプラーの法則に従う惑星運動の神秘を力学によって解き明かし、物理学は近代科学の要件を整えた最初の学問となった。
 つづいて近代科学の仲間入りを果たしたのが化学。ラヴォアジェの『化学原論』により、神秘的な営みの象徴であった錬金術が斬り捨てられ、新しい物質観が生まれた。
 そしてダーウィンが「神秘中の神秘である種の起源に光明を投げかける」と告げた『種の起源』が出版され、これを機に生物学も近代科学としての歩みをたどり始めることになる。
 いずれも神秘との決別がキーワードであった。

 ところでダーウィンの進化論に対しては宗教界から激しい抵抗があった(現在にもそれは続いている)ことは誰もが知っているだろうが、当時の大物理学者ケルヴィンからの批判の方がダーウィンには頭の痛いことであった。ケルヴィンは物理学的な方法を用いて地球の年齢を計算するにあたって、意図的に年齢を若く見せようとした疑念が読み取れるというのだ。その意図とは進化論の粉砕であった。原始生命が人類まで進化してきたという考えは、地球の年齢が若ければ若いほど無理が生じてくるわけで、そのことをもってダーウィンの考え方を否定しようとしたのだ。

 その後、ベクレルによる放射能の発見によって地球は内部に放射能を抱えていることで、冷却の一途をたどったわけではないことが証明される。これは地球を冷却の過程にあると見なしたケルヴィンの前提を葬るものであった。ダーウィンの進化論はこうして補強されたのである。

 一九世紀前半のカルノーの『火の動力についての考察』は、効率至上主義や経済至上主義に対する戒めの言葉で締めくくられている。現代社会の病理を先取りしたような警鐘を打ち鳴らしているのだ。科学者たちは単に科学の進歩のみを追求して研究に没頭してきたわけではないことがわかる。

 二〇世紀以降では、前半はアインシュタインやハッブル、後半にはワトソンやパウエルらが登場する。古生物学や古人類学の進歩は最近になって著しく進んだらしい。最後はグールドの『ワンダフル・ライフ』と『フルハウス 生命の全容』で締めくくられる。

 というわけで、本書の内容は専門的な知識のない読者でも、人類が長きにわたって営んできた自然科学の面白さの一端を感じ取ることができる平易なものである。同時に科学者たちの人間らしい一面も垣間見ることができる書きぶりで「学問は楽問である」という著者の持論が遺憾なく発揮された本であると思う。

by syunpo | 2019-04-24 19:43 | 科学史 | Trackback | Comments(0)

大阪から世界へ〜『仕事をつくる』

●安藤忠雄著『仕事をつくる 私の履歴書』/日本経済新聞出版社/2012年3月発行

b0072887_22250649.jpg〈はじめに〉として冒頭に二流政治家のスピーチのような、言葉使いは立派だが陳腐な文章が掲げられている。なんだかなぁと不安を覚えつつ本文に入ったのだが、結局その不安を覆してくれるようなインパクトのある言葉には最後まで出会えなかった。

 著者の普段の言動からすれば察しのついたことではあるけれど、前後の脈絡がしばしば混乱していたり、凡庸極まりない人生観が大仰に披瀝されていたり。せっかく個性的な実業家たちと付き合いながら、彼らの魅力を「骨太」「明るさ」「気迫」「精神力」「勇気」等々と抽象的でありふれた語彙に回収してしまうのも興ざめ。

 安藤の建築はユニークでおもしろいと思うけれど、言葉の貧しさは如何ともしがたい。天は二物を与えず、とでもいえばいいのか。
この業界には磯崎新のような現代思想にも通じた理論家も多いわけだが、安藤のベタな語りは良くも悪しくも大阪的な知を象徴しているのかもしれない。

by syunpo | 2019-04-20 22:30 | 建築 | Trackback | Comments(0)

主権者の作法を身につけるために〜『ハッキリ言わせていただきます!』

●前川喜平、谷口真由美著『ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』/集英社/2019年2月発行

b0072887_18401709.jpg 前川喜平は文科事務次官を退官後はすっかりマスコミの寵児になった。文科省のこれまでの政策と現在の前川の発言に齟齬を感じることもなくはないのだが、退官後の発言だけを読めば真っ当なものが多いと思う。本書は全日本おばちゃん党代表代行で大阪国際大学准教授の谷口真由美との対談集である。

 現在の教育全般に対する批判や注文、ラグビーにおけるフェアネスの精神、前川の官僚時代の挿話、〈桃太郎〉の問題点、憲法と教育基本法……などなど話題は多岐にわたる。全編をとおして社会や公権力に対する批判精神の重要性を説いているのが本書の肝といえるだろう。

 谷口の専門が国際人権法ということで、当然ながら人権問題や教育にまつわる権利の問題には熱がこもる。前川の憲法論も教育を重視したもので、それはそれで傾聴に値するものだ。

 憲法で平等権と言ったら普通は憲法第14条のことを考えますけど、私は教育に関する平等権は、憲法第14条の平等よりも広いと思っているんです。(p149~150)

 私は、本当に主権者が主権者たり得るためには、知る権利だけではなくて、「学ぶ権利」がちゃんと保障されていないといけないと考えています。学ぶということがいかに大事かということを最近、痛切に感じているんですね。(p207)

 対する谷口も親しみやすい関西弁で噛み砕いた話しぶりで前川の話にうまく絡んでいく。「主権者の作法」という表現を使いながら主権者の体たらくに鞭打つ言葉が印象的だ。

 ……主権者の作法があると思うんですね。主権者として同じフィールドで議論しなきゃいけないことがたくさんあるのに、大半は「難しいことは分からへん」と平気で言う。難しいことが分からへんことをそんな自慢気に言うなよ。反知性とか非知性って言われて何年か経ちますけど、知らんことがそんな偉いですか。(p207)

 前川が高校時代にラグビーをやっていた話をすれば、谷口も子どもの頃、両親の仕事の関係で花園ラグビー場のメインスタンドの下にあった近鉄の寮に住んでいたと応じる。ラグビー選手と「楽しく暮らしていた」時期があったのだ。そうしたことから二人のラグビー談義に花が咲くのも愉しい。谷口が引く「君たちはなぜ、ラグビーをするのか。戦争をしないためだ」という大西鐵之佑の言葉もおもしろい。

 これからの道徳教育や公共教育に二人が強い違和感を表明するくだりも本書の読みどころの一つ。ありていにいえば国家による思想統制や管理が露骨に目指されているのだ。前川の発言は教科書や学習指導要領の内容を踏まえた具体的なものなので、危機感の表明にも説得力が伴っている。今使われている教科書には「上の言うことを聞け」「無制限に働くのはいいことだ」というような話ばかりが掲載されているのだという。

 さらに驚くことには、社会科の学習指導要領には、すでに天皇を敬愛すると書いてあることだ。象徴天皇に対して国家が「敬愛」の対象とする方向で教育に踏み込むのは明らかに憲法理念や戦後民主主義とは相容れない。

「道徳」が最初に導入されたのは、一九五八年の岸内閣の時代らしい。岸と安倍という二人の政治家が道徳教育による国民統制を志向する──いかにもわかりやすい戦後史の系譜の一つだが、前川によれば「岸内閣が『道徳』を最初に導入したときの学習指導要領のほうが今よりもまだマシ」だという。岸政権下では「自分たちで決めた決まりを守る」と書いてあるからだ。

 自分たちで決めた決まりを守る。それが都合悪ければもう一遍、また決め直すという話がビルトインされているわけですから、これは自治とか民主主義につながる考え方ですよね。ところが、今の学習指導要領は「決まりを進んで守る」に変わってしまった。その決まりができた経緯とか、変えられる力があるということはまったく不問。そこはなくなってしまった。(p235)

 上野千鶴子が今年度の東京大学入学式で行なった(東大への批判を含む)祝辞に対して揶揄しているツイートを読むと大半が陳腐な言葉遣いの低劣なもので、上野批判が批判のレベルに達していない。いかにこの社会の人びとが批判の作法を身につけていないかを痛感する。長きにわたる自民党的な教育行政は着々と成果を上げてきているのだ。この流れに対抗するのは本当に難事だと思わずにはいられない。

 その状況をみるにつけ日本では「民主主義を自分たちで勝ち取っていない」から云々というやりとりが前半に何度も出てくるのは理解できなくもない。が、同時にその手の常套句はもう聞き飽きたという思いも拭えない。後続世代には歴史的条件を書き換える術はないのだから、そんな繰り言を重ねても詮無きこと。いかなる歴史的経緯があろうとなかろうと民主主義の看板を掲げていく以上は自分たちで民主主義を鍛えていく以外にないではないか、と強く思う。

by syunpo | 2019-04-15 19:22 | 政治 | Trackback | Comments(0)

明治維新の暗黒面を掘り起こす〜『仏教抹殺』

●鵜飼秀徳著『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』/文藝春秋/2018年12月発行

b0072887_18544592.jpg 日本の宗教は世界の宗教史のなかでも特殊な歴史を刻んできた。中世以降江戸時代まで、神道と仏教が混淆していたのである。平安時代に生まれた本地垂迹説という神仏習合思想がその土台を成している。日本の神々は仏菩薩が化身としてこの世に現れた姿だとする説である。外来宗教であった仏教が日本独自の神道と無理なく混じり合い、寺と神社が同じ敷地内に共存するのは当たり前になった。

 ところが明治時代になって状況は一変する。明治維新政府が一八六八年に出した一連の神仏分離令をきっかけに、仏教への迫害・破壊行為が全国的に始まったのだ。「廃仏毀釈」といわれるものである。
 神仏分離令は、王政復古・祭政一致に基づいて、あくまでも神と仏を区別するのが目的だった。しかし地方の為政者や神官のなかにはこの法令を拡大解釈する者が現れたのである。

 こうした廃仏毀釈は明治維新を語るときに避けては通れない出来事のはずだが、その痕跡を全国的に歩いて調査した事例はほとんどないらしい。本書は各地を独自取材してその実態を掘り起こした労作である。著者は浄土宗の僧侶としての顔も持つジャーナリスト。

 一八六八年、比叡山延暦寺が支配していた大津の日吉神社で神官らによる暴動が勃発する。社殿に安置されていた仏像、仏具、経典などが焼き捨てられた。これを合図のようにして全国で寺院破壊が加速化する。僧侶たちは還俗、あるいは神官として転身することを強いられた。

 廃仏毀釈が徹底して行なわれた鹿児島では一時、寺院と僧侶がゼロになった。また松本、苗木、伊勢、土佐、宮崎などでも市民を巻き込んだ激しい廃仏運動が展開された。この一連の騒動によって、九万あったと推定される寺院は半分の四万五千ほどに激減した。廃仏毀釈がなければ国宝はゆうに三倍はあったともいわれている。鹿児島には仏教由来の国宝、国の重要文化財が一つも存在しない。

 皮肉なことに、廃仏毀釈によって肝心の伊勢神宮にも悪影響が及んだ。伊勢神宮は古くから多くの参詣者を集めてきた。伊勢信仰を下支えしていたのが「御師」と呼ばれた人々。彼らは自らの邸宅に参詣客を宿泊させ、案内人をつとめ、伊勢暦や神札を配布を行った。宗教的職能者とツアーコンダクターとしての役割を果たしていた。しかし新政府は神仏分離政策の一環として御師制度を廃止する。これを機に参拝者数は激減することとなる。

 また皇室の菩提寺も大きな影響を受けた。
 京都・東山の真言宗泉涌寺は四条天皇の葬儀を行なって以降、「皇室の御寺」と呼ばれるようになった。しかし神仏分離により、泉涌寺における天皇陵の墓域がすべて上知(没収)され官有地とされた。それまで天皇・皇后の葬儀は泉涌寺が一切を執り行ってきたが、その慣習は明治天皇以降、消滅した。泉涌寺と並ぶ皇室の菩提寺として知られた天台宗般舟院も神仏分離によって尊牌は泉涌寺に移され、天皇家の菩提寺としての歴史を閉じる。現在、般舟院のあった場所は中学校になっている。

「当時は天皇家すら、神仏分離政策には抗えなかったのだ」という著者の指摘に廃仏毀釈の倒錯的性格が象徴されているようにも思える。言い換えれば廃仏毀釈が当初の政府の理念といかにかけ離れた無謀な運動であったかということでもある。

 それにしても何故このような不条理な暴動が生じたのか。著者は四つの要因を挙げている。

 ① 権力者の忖度
 ② 富国策のための寺院利用
 ③ 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
 ④ 僧侶の堕落(p241)

 ②はもともと水戸藩が考案した合理化政策。大砲鋳造を目的に寺院から金属を供出させたのが最初。神仏分離令を機に京都では寺院から没収した鐘や仏具の金属類から橋の擬宝珠を作るなどインフラ整備に寺院から出た物資を利用することが各地で見られるようになる。また寺院の伽藍の多くが学制の発布とともに学校に転用された。
 ④に関しては、妻帯が禁じられているはずの住職がさらに妾の元に入り浸るなど仏教者の本分を忘れた振る舞いが地元住民の顰蹙を買った事例などが紹介されている。

 ①と③については留保が必要ではないかと思う。
「権力者の忖度」というのだが、そもそも維新政府は廃仏毀釈のような過激な運動までは想定していなかった。現に日吉大社の暴動の直後に太政官布告を出して神職らによる仏教施設の破壊を戒めている。本書を読むかぎり地方の権力者が国策に対して過剰反応を示したという印象が強く、一連の廃仏毀釈に関して「忖度」などという現代の流行語を使うのは的を外しているうえにいかにも軽率な気がする。
 また「民族性」という概念じたいも怪しいものだ。地域ごとに運動には温度差があり濃淡がまだら模様になっているわけで、本書の文脈で民族性なる曖昧な概念を安易に持ち出すことにはあまり同意できない。

 もちろん以上のような疑問点が本書を評価する際の致命的な疵になるというつもりは毛頭ない。
 二〇一八年は明治維新一五〇周年にあたり、政府主導で明治時代の「光」の面が強調されることが多かった。だが廃仏毀釈は明治維新の「影」に相当する出来事だったといえる。時の為政者が忌み嫌うような主題を掲げて、自分の足で各地を歩き、詳細を調べあげた著者には敬意を表したい。

by syunpo | 2019-04-13 18:20 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「集合的無意識」の表現〜『あの人に会いに』

●穂村弘著『あの人に会いに 穂村弘対談集』/毎日新聞出版/2019年1月発行

b0072887_22344501.jpg ……ごく稀に奇蹟のような言葉や色彩やメロディに出会うことができた。この世にこんな傑作があることが信じられなかった。世界のどこかにこれを作った人がいるのだ。それだけを心の支えにして、私は長く続いた青春の暗黒時代をなんとか乗り切った。(p3~4)

 その後、みずからも売れっ子の歌人となった穂村弘は憧れの創作家たちと言葉を交わす機会を得る。相手は、谷川俊太郎、宇野亞喜良、横尾忠則、荒木経惟、萩尾望都、佐藤雅彦、高野文子、甲本ヒロト、吉田戦車……と多彩な顔ぶれ。

 興味深いのは、谷川、横尾、萩尾がみずからの創作活動を語る際に、示し合わせたかのように「集合的無意識」という言葉を使っている点。谷川・横尾と萩尾とでは文脈は異なるが、穂村は対談後の覚え書きのなかで「創造の秘密に関わるキーワードかもしれない」と指摘している。

 谷川の場合、インスピレーションは上から降ってくる感じではなくて下からやってくる、という。「やっぱり『集合的無意識』という言葉を知ったことが大きいですね。そういうものが上にあるとは思えない」。

 横尾もインスピレーションはどこから来るのかという問いに応えて、その言葉を出している。「(インスピレーションは)いろんなところから来るんじゃないか。自分の経験や記憶から来ることもあるし夢から来ることもある。もしかしたら、集合的無意識から来ることだってあるかもしれない」。

 対して萩尾は「物語ができあがる前に重要事項が浮かんでくる感覚があるんです」と話した後、「たまにデジャヴみたいな夢を見るでしょう。ユングがいう集合的無意識の中に入り込んでしまったような」と述懐している。

 このほか宇野と荒木のビジュアリスト二人の話は、期せずして「センチメンタル」が鍵言葉の一つになっているのも一興。甲本とのロックンロール談義もシンプルに面白い。

 そんなこんなで穂村はあまり出しゃばらずもっぱら聞き役に徹して相手の話をうまく引き出している。良くも悪しくも穂村らしさのにじみ出た肩のこらない愉しい対談集といえる。

by syunpo | 2019-04-11 18:36 | クロスオーバー | Trackback | Comments(0)

戦後日本のモデルが崩壊した時代!?〜『平成史講義』

●吉見俊哉編『平成史講義』/筑摩書房/2019年2月発行

b0072887_18541507.jpg 平成とはいかなる時代であったのか。本書では、天皇、政治家、官僚、企業と従業員、若者たち、対抗的勢力、メディア、中間層といった様々な歴史の主体のパフォーマンスを検証する。その作業をもって平成という時代の複合的な姿を浮かび上がらせようとする試みである。

 寄稿者は、野中尚人・金井利之・石水喜夫・本田由紀・音好宏・北田暁大・新倉貴仁・佐道明宏。前後に編者の吉見俊哉の文章を配して挟みこむ形になっている。

 全体をとおしていささか退屈だったというのが率直な感想だが、そのなかでは教育社会学を専門とする本田由紀の論考が秀逸。「平成の三〇年間に若者と教育に何が起ったか」を論じたもので「戦後日本型循環モデル」が破綻した時代だと見なしているのが要点である。
 では戦後日本型循環モデルとはどのようなものだったのか。

 ……一九六〇年代を中心とする高度経済成長期に形成され、石油危機後の一九七〇~八〇年代の安定成長期に普及と深化を遂げた戦後日本型循環モデルにおいては、主に男性が企業の長期雇用と年功賃金により家計を支え、家族は次世代である子どもの教育に多額の費用と意欲を注ぎ、教育を終了した子どもは新規学卒一括採用により間断なく企業に包摂されるという循環構造が成立していた。(p134)

 しかしバブル景気が崩壊した後、経済の低迷とバブル期の新卒過剰採用、中高年齢層に達した団塊世代の人件費負担、後発諸国の経済的台頭などの複数の要因により、日本企業は新規学卒者を正社員として採用する余力を低下させた。かくして一九九〇年代以降の日本の若年層は、労働市場の需給変動や雇用・労働環境の変化によって翻弄されることとなった。総じて生活の困窮度は増大し格差も広がった。

 しかし同時期に日本社会で優勢であった言説は、むしろ日本の経済社会の低迷や閉塞の原因を若者の「劣化」に帰責する内容のものであった。

 この言説がもたらした悪しき帰結の一つは、若者の雇用状況に対する政策的対処が不十分なものに留まり、個人のサバイバル称揚する社会的風潮が色濃くなったことである、と本田はいう。さらに「劣化」したとされる若者を矯正するための教育政策が提起されるようになったことも問題であった。

 若者を対象とした複数の調査を総合的に分析すると、若年層は能力主義を信奉し国家への忠誠心が高まっているという。それは平成期における教育の成果ともいえる。教育理念や内容の変化についても教育基本法の改正を念頭において本田は細かく検証しているが、ここでは割愛する。そして以下のように危機感をにじませた総括しているのは注目すべきかもしれない。

 ……戦前の教育勅語は、徳目を列挙した天皇の私的文書にすぎなかったにもかかわらず、学校教育現場では「教化」の装置として絶大な威力を発揮していた。……(中略)……それをも凌駕する、学校における教育内容・方法のすべてを、国家への貢献という資質=態度の満遍ない育成に向けて吸い上げる「ハイパー教化」と呼ぶべき学校教育の構造が、平成の末期にいたって姿を現したと言える。(p155)

 いささかオーバーな表現と思われる面もあるけれど、今の政治状況を考えればむしろこれくらいの警戒心をもっていた方がいいのかもしれないとも思うのだった。

by syunpo | 2019-04-10 22:22 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

国民の生活よりも大企業の利益!?〜『日本が売られる』

●堤未果著『日本が売られる』/幻冬舎/2018年10月発行

b0072887_18532488.jpg 日本を世界一ビジネスのしやすい国にする。これは安倍政権が掲げる主要政策のひとつである。これまで何気なく聞き流していたが、本書を読んでその意味するところを十二分に理解することができた。要するに国民一人一人の生活向上よりも企業の利益を優先するという宣言なのである。

 周回遅れの新自由主義国家として日本は公共部門が管理統制すべき分野で規制緩和を行ない、市場原理の支配する領域を広げている。水、農地、森林、海、学校、医療……。どれもこれも故宇沢弘文が「社会的共通資本」と命名した大切なものごとである。

 企業は「今だけカネだけ自分だけ」の論理で動く。それを政府が後押しする。それが今の日本の政治経済のありようだ。堤未果はその実態を具体的にあぶり出していく。

 世界では水道の再公営化が趨勢になっているのに、日本では今さらながら民営化を推進しているのは周知のとおり。日本の水道運営権は巨額の手数料が動く優良投資商品として海外の水企業からターゲットにされている。

 二〇一八年、これまで日本の農家を守ってきた種子法が廃止された。ざっくりいえば農産物の種子そのものが「国民の腹を満たすもの」から「巨額の利益をもたらす商品」として、民間企業に開放されることとなった。この分野でもモンサント社をはじめ多国籍企業が大きな力をもっていることはいうまでもない。
 公的制度が廃止された今、農家は自力で種子開発するのは経済的にも物理的にも厳しくなる。安価な公共種子が作られなくなると、農家は開発費を上乗せした民間企業の高価な種子を買うしかなくなり、コメの値段も上がってゆくとみられる。

 日本が世界に誇る国民皆保険制度も米国との関係でいびつなものになっている。一九八〇年代に日米間で交わされたMOSS協議。これによって日本政府は医療機器と医薬品の承認を米国に事前相談しなければならなくなった。それ以来、日本は米国製の医療機器と新薬を他国の三~四倍の値段で買わされているという。費用は国民皆保険制度でカバーされている。医療費高騰の最大の理由は高齢者の増加ではなく日米関係にあるのだ。

 グローバル化した世界では、利益を出したい投資家や企業群が、公的資産であるはずの、種子や森、地下水や遺伝子、CO²を排出する権利に至るまで、何もかもに値札をつけてゆく。それを受けて日本では規制改革推進会議が「全てに値札をつける民営化計画」でアシストするという具合だ。

 自由貿易の旗を振り、TPPやEPAを進めつつ、国内を守る規制や補助金という防壁を自ら崩し自国産業を丸腰にする、そんなことをしているのは日本政府だけだ。(p96)

 世界中の右派政権が自国ファーストの政治を行なっているなか、ひとり日本だけが米国ファーストあるいは多国籍企業優先の政治を推進している。そのような政策を遂行することによって与党政治家にいかなるメリットが転がり込むのか定かではないが、常識的に考えれば不思議というほかない。

 ことほどさように本書に記された内容は読むほどにゲンナリするものばかりだけれど、知らずに穏やかに過ごした後に突然地獄を見るよりも、現実を直視して早く手を打った方が良いのは自明である。ほろ苦い現実から目を逸らしても現実そのものが変わるわけではない。

 後半では売国的政治=多国籍企業に対抗するために諸外国で展開している具体的な政治や市民運動を紹介して本書にささやかな希望を与えつつまとめている。イタリアの草の根政治革命。マレーシアの消費税廃止政策。フランスにおける水道公営化。スイスでの共同組合運動……などなど。

 ただし引っかかる点もなくはない。本書では肯定的に論じられている公的セクターによる管理統制や業界内の自主的な調整はその公共的意義が認められる一方で、腐敗の温床として部外者から批判を受けてきた一面もある。本書における〈規制緩和=悪、公共部門による管理調整=善〉という単純な二元論的図式の評価には留保が必要ではないかと思う。

by syunpo | 2019-04-08 20:25 | 経済 | Trackback | Comments(0)

文化的な社交の拠点として〜『図書館の日本史』

●新藤透著『図書館の日本史』/勉誠出版/2019年1月発行

b0072887_18525267.jpg 公共図書館は私たち庶民にとってはなくてはならない基本的な文化インフラの一つである。しかし地方における財政逼迫を背景に運営を民間企業に委託するなどの動きも目立つ。また出版業界からは売上げに悪影響を与えるとして、時に批判的な視線を浴びるようにもなった。図書館はどうあるべきか。あらためて問われる時代になってきた。

 さて本書は、図書館情報学・歴史学を専門とする研究者が図書館の日本史を振り返ったものである。良くも悪くも学者らしい手堅い筆致で、文献の細かな読解など途中かったるくなる箇所もなくはないが、興味深い挿話があちこちにちりばめられ、読みでのある本には違いない。
 
 日本には古代から図書館があった。奈良時代に大宝律令によって初めて設置された図書寮(ずしょりょう)は、現代の国立国会図書館・国立公文書館・宮内庁書陵部を兼ねたような施設であった。閲覧だけでなく一部の役人には館外貸出も許可していたという。当時の書物は今とは比べ物にならないくらい貴重品だったはずだが、保存よりも利用者への便宜を優先するケースもあったのだ。これは一驚に値する。

 太宰府にあった書殿では宴会も行われたという一文が万葉集に残っているのも面白い。研究者の間では書殿は図書館的なものという見解で一致している。当時の貴族の宴は単なる酒盛りではなく、歌や漢詩を送り合う社交の場でもあった。歌を詠むために必要な参考文献が所蔵されている図書館が宴会の会場になってもおかしくないと著者はいう。

 神奈川県に現存する金沢文庫は初めて武士によって設立された本格的な図書館である。書籍文化の担い手が貴族から武士に移行したことを象徴するものといえる。そこでは身分の上下に関係なく僧侶や武家の女性も利用していたらしい。

 戦国時代に最盛期を迎えた足利学校が、大学図書館の元祖という見方が存在するのも一興である。戦乱の世にあっても、あるいはそういう世だったからこそ武将たちは学ぶ意欲をもっていたという史実は示唆に富む。足利付近に出兵した戦国大名が足利学校への乱暴狼藉を禁じる禁制を発した記録も残っている。

 印刷技術が普及するまでは書写することが一般的に行われていた。本の貸し借りは書写することが前提だったと考えられる。ちなみに応仁の乱は京都市街で戦闘が行われたものだが、その戦乱のさなかにも『古今和歌集』を借りて書写し、良質な写本として完璧を期するなどの文化的な活動が実践されていたこともわかっている。
 書物の貸し借りや写本作成の依頼などをとおして貴族間のみならず天皇、僧侶、女官などを含めた人的ネットワークが近代以前に構築されていたという史実には一読書家として元気づけられる思いがする。

 江戸幕府を開いた徳川家康は「五倫の道」を世の中の隅々にまで知らしめるためには、書籍を出版することが「仁政」であると考えた。一五九九年から京都の伏見で出版を開始する。駿府城内に駿河文庫をつくり、江戸城内に富士見亭文庫を設立した。いずれも家康の個人文庫といった性格のものだが、家光がこれを拡大発展させる。文庫管理に専任の書物奉行職を創設した。慶応二年(一八六六年)に廃止されるまで、江戸全期間を通して九十名任命されたという。

 また江戸時代には識字率の向上に伴い、庶民レベルでも本を読む者が増えた。村々には「蔵書の家」があった。当時の名主層は大量の蔵書を有していて、それを村人に無償で貸し出す活動も行っていたのだ。蒐集した蔵書を惜しげもなく村人たちに伝えていることは、武士層の図書館よりも「今日の図書館に近い役割を果たしていたと考えられ」るという。

 江戸時代というとマスコミも存在せず、民衆は重要な情報から目隠しされていたというイメージを持たれがちですが、決してそんなことはありません。村人たちは「蔵書の家」を活用して、娯楽から農業などの実用知識、そして世の中の動きまで知ることができたのです。(p220)

 ここまで読んできた後に、福沢諭吉が日本の前近代の文庫には見向きもせず、西洋の図書館「ビブリオテーキ」の紹介に夢中になっているのにはほろ苦い感慨を拭いきれない。
 維新政府は日本初の近代的な図書館として湯島に書籍館(しょじゃくかん)を開設した。やや遅れて納本制度も始まるが、これは検閲をするために導入されたものである。

 昭和戦前期には図書館付帯施設論争が巻き起こる。図書館界と文部省との間に発生したものである。前者は図書館をあくまで図書館本来の機能に沿ったサービスを住民に提供しようと考えたのに対して、後者は予算不足を背景に図書館にあらゆる社会教育を提供する施設になってもらおうと企図したものである。著者はこの対立を「両者の図書館という施設に対する認識の相違」とみているが、ありていにいえば「両者の立場の相違」が論争として表面化したものだろう。

 もっともその後、前者を代表して論争した中田邦造は、国民精神総動員運動の一環として展開された管制読書会を指導する立場になる。読書に対する彼の熱意は国家によって巧妙に取り込まれてしまったのだ。戦前戦中の激動期にはよくある話かもしれないが、歴史の皮肉を感じずにはいられない。

 公立図書館の完全無料化は、戦後になってGHQの力でようやく実現された。その後、若手図書館員らの活動や市民運動の力で「利用を第一とする」図書館が次第に形成されていく。

 こうして図書館の歴史を振り返ってみると、大雑把にいえば官主導の図書館と民間レベルでの図書・情報ネットワークの二つの潮流が相互に補完しあいながら推移してきたといえる。明治以降、西洋から導入された近代的な図書館に押され、民間のネットワークは縮小されてしまうが、現代ではあらためて様々な活動が展開されている。

 昨今は図書館の雰囲気も活動内容も以前に比べると様変わりしてきた。私がよく利用する市内の図書館では数年前から「おしゃべりOKタイム」を設定して、本に関する情報交換をしている利用者の姿をしばしば見かけるようになった。それに類する試みは他でも行われていると聞く。

 図書館とは静かに本を読む場所と認識している利用者が未だに多いようだが、それはさして根拠のない個人的な固定観念にすぎない。本書を読むと昨今の図書館の様変わりはとくに現代的な風潮というわけでもなく、過去の図書施設の歴史と重なるものであることがわかる。図書館のあり方を再考するうえでも参考になる本だ。

by syunpo | 2019-04-03 10:35 | 歴史 | Trackback | Comments(0)