●山口晃著『ヘンな日本美術史』/祥伝社/2012年11月発行
小林秀雄賞を受賞したということもあって手にとってみたのだが、いささか期待ハズレだった。肝心な部分の語彙が如何せん貧困かつ凡庸で「ヘンな美術史」を標榜するならもっと弾けた語彙を駆使してほしいところ。江戸末期から明治初期にかけて活躍した三人の画家(河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄)に再評価を試みる最終章も漱石から〈内発性/外発性〉という概念を借用してきているのだが、訴求力は今ひとつだ。 とはいえまったく退屈したというわけでもない。たとえば有名な《鳥獣戯画》においては近代以降の絵画では前提となる「作家性」、もっと単純にいえば絵の著作者に関しては「どうでもいいと考えられて」いたらしく、その成り立ちについて語るくだりは興味深い。また雪舟の絵の顔をキュビズムになぞらえたり、長徳寺の六道絵をヘンリー・ダーガーと並べてみたり、著者ならではの「ヘンな」視点が記述に活気をもたらしている箇所もあることは書き添えておこう。 #
by syunpo
| 2016-04-10 09:18
| 美術
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●四方田犬彦著『母の母、その彼方に』/新潮社/2016年2月発行
本書には四方田一族に連なる三人の女性が登場する。 平塚らいてうと八年の長きにわたって学友として机を並べた四方田柳子。四方田犬彦の祖父の先妻にあたる女性である。四方田の祖母、四方田美恵。そして母の四方田昌子。この三人の女性の人生をとおして、日本近現代史の一面──ブルジョワ階級の勃興と衰退──が浮かびあがるという寸法である。 本書に登場する人物には歴史に名を刻んだ者も多い。平塚らいてうのほかにも、祖父の保が共感していた同郷の政治家・若槻礼次郎。阪急王国を築いた実業家・小林一三。生物学者の岡田節人。……四方田一族がいかに華麗なる人脈を築いていたか滔々と語る、その筆致は人によってはあるいは嫌味と感じられるかもしれない。が、何はともあれ、グルメにして映画研究者、人と群れることを快しとしない著者がいかなるところから生まれてきたのか、ということを知るうえでも興味深い書物には違いない。 #
by syunpo
| 2016-04-07 20:05
| ノンフィクション
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●杉原泰雄著『憲法読本 第4版』/岩波書店/2014年3月発行
憲法の入門書としてはロングセラーといえるのだろう。本書は一九八一年に初版が刊行され、二度の改定を経て二〇一四年に第4版を出すにいたった。とくに目新しいことが書かれているわけではないが、立憲主義に対する国民の関心も高まっているおり本書のような初学者向けの入門書にも出番が増えたといえるかもしれない。 著者によれば、現在は憲法の歴史における第三の転換期にあたる。近代市民憲法によって立憲主義の政治が始まったのが第一の転換期。両性の不平等を改め、賃労働者を含む民衆層にも人間らしい生活を保障しようとしたのが第二の転換期。そして第三の転換期の重要課題となるのは上記の課題に加えて軍縮と地球環境破壊への対処だという。 立憲主義の立場から現政権の言動を批判的に吟味する類の書物はすでに数多く出ているが、本書は明治憲法と比較しつつ戦後政治を概観し、憲法の理念が活かされているとは言えない政治の実態について満遍なく切り込んでいる。その批判の筆致にはいささか紋切型におさまる箇所も散見されるものの、国民主権を重視し一般国民にも政治への関心をくり返し説く姿勢は現憲法が想定している主権者のすがたを目指すものとして支持したいと思う。 ただし引っかかる点もある。たとえば自衛権に関しては国民の生存権を明記した二五条を引いて個別的自衛権を容認する解釈が一般的だと思うのだが、本書では九条の条文からただちに武力行使そのものに否定的な態度を示している。「(安全保障に関して)憲法9条の文言だけを見て議論するのは、檻の中のシマウマを黒馬だ白馬だと騒ぐようなもので、意味のあるものとは言い難い」という木村草太の見解に対して著者はどう答えるのか、聞いてみたいと思った。 #
by syunpo
| 2016-03-30 20:06
| 憲法・司法
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●内田樹、福島みずほ著『「意地悪」化する日本』/岩波書店/2015年12月発行
「論争」を拒否している内田樹センセイは意見の合う人との「対談」はお好きなようで、最近はやたらその種の書物を出している。本書の相手は参議院議員の福島みずほ。 キーワードは書名にも採用されている社会の「意地悪」化である。 意地悪というのは、今の日本のキーワードですね。パイがどんどん小さくなって、お金がどんどんなくなるなかで、ちょっとでもいい思いをしている人間を叩く。(福島、p68) 日本の「意地悪」化というのは、言い換えれば「他人が何かを失うことが、自分の得点にカウントされる」という発想から生まれてきているんだと思います。(内田、p189) こうして「意地悪」化した人々が支える公権力者たちの振る舞いが批判的に論評されていく。そのうえで「正直・親切・愉快」に生きることが推奨される、というのが本書の趣旨である。 それにしても、内田の安倍・橋下批判はむしろ自己批判と読んだ方が事実に即しているかもしれない。「この二人は異論と対話する気がない点ではほんとうによく似ています」と厳しく非難しているが、それは内田自身が繰り返し明言している基本姿勢でもある。学者はそれでもいいが公人には許されない、とでもいうのだろうか。たぶんそういうことなのだろう。私は安倍政権をまったく支持しないけれど、本書の対話もかなり杜撰で退屈だったというのが偽らざる感想である。 #
by syunpo
| 2016-03-21 08:56
| 政治
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●小熊英二著『生きて帰ってきた男 ──ある日本兵の戦争と戦後』/岩波書店/2015年6月発行
小熊謙二は満州に出征し、ソ連軍侵攻にあって四年間のシベリア抑留生活をおくった後、生還を果たした。帰国後は職業を転々としながら高度経済成長の波にのってビジネスを成功させ、晩年は中国在住の元日本兵が起こした戦後補償裁判の共同原告となって裁判を闘った。波乱万丈の人生を息子・英二がオーラル・ヒストリーの形でまとめたのが本書である。 シベリアでの収容所暮らしで注目すべきことの一つは「民主運動」であろう。捕虜たちのあいだで共産主義思想に基いてお互いを糾弾しあうという運動が生じたのだ。それにはソ連側の働きかけがあったことは事実だが、捕虜たちがみずからすすんでそのような運動を行なった側面も否定できない。小熊は、日本の捕虜たちが「過剰適応」した部分も大きかったと分析している。謙二自身はそうした運動からは距離をおいていたらしいのだが。 それにしても謙二の人生は様々な意味で人間のたくましさを感じさせる。戦後、結核を患い長期にわたって療養所暮らしを体験し、外科手術のために片肺の状態になってしまうのだが、それでもその後の人生をビジネスマンとして生き抜いた。また後年、戦後日本国籍を失った元日本兵には政府の補償を受ける権利がないことに理不尽さを感じ、中国在住の元戦友が起こした裁判をともに闘うすがたは感動的でさえある。 ──シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という息子の問いに対する父・謙二の回答はシンプルゆえに印象深い。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。 一般に戦争体験の記録は学徒兵や将校など学歴や地位に恵まれた者たちによって記されたものが多い。「生活に余裕がなく、識字能力などに劣る庶民は、自分からは歴史的記録を残さない」。その意味では、とくに学歴に優れているわけでもなく、軍隊で恵まれた境遇にいたわけでもなく、戦後もインテリとして生活したわけでもない人物にまつわる本書の記録はこれまでの戦争体験記の隙間を埋めるものであるかもしれない。 さらに類書と異なっている特色として、著者もいうように戦前と戦後の生活を詳細に記述している点が挙げられるだろう。「戦前および戦後の生活史を、戦争体験と連続したものとして」描くことで「戦争が人間の生活をどう変えたか」「戦後の平和意識がどのように形成されたか」といったテーマにも応えるものとなった。力作といえるだろう。 #
by syunpo
| 2016-03-18 19:06
| 歴史
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