政治改革の本丸に迫る!?〜『参議院なんかいらない』

●村上正邦、平野貞夫、筆坂秀世著『参議院なんかいらない』/幻冬舎/2007年5月発行

b0072887_19312123.jpg 元参議院議員三人による鼎談集。タイトルは挑発的だが、内容は「参議院改革」について三者が自由奔放に語ったものである。今回の参議院選挙の前と後で、マスメディア上で展開された議論は、政局論情勢論に気圧される形で、もっぱら安倍退陣をめぐるものに終始した。その結果、「そもそも参議院とはいかにあるべきか」という議論は喚起されないまま現在に至っている。その意味では、参議院本来の機能を考察し、根本的な改革を提唱する本書の姿勢は、大いに評価されるべきであろう。
 ただし、全体の議論内容についてはやや疑問符がつく。

 参議院のミーハー化を一刀両断する村上が、自身の現職時代にマラソン監督の小出義雄を担ぎ出そうとした話を臆面もなく披露したり、「私たち三人が現職の議員だったら、郵政民営化法案を絶対阻止できたのに」と平野が大言壮語するなど、一丁上がりになった御隠居連中の政治放談といった趣が濃厚である。三者ともに現役時代は大物でならしただけに手柄話も随所にちりばめられて鼻につく箇所も多い。
 「本来、政局とは一歩離れたところで、国益中心に立って物事を判断するのが参議院議員の責務」という村上が、その後も悪びれずに政局運営に力を発揮した自慢話を披瀝し続けるのにも嗤ってしまう。

 さらに、村上が小泉強権政治を批判するに武士道精神を持ち出したり、平野が現在の官僚を批判するに「戦前、官僚は天皇陛下のために仕事をしている自負があった」と戦前の官僚制度を引き合いに出したり、この年代にありがちな陳腐な物言いも散見される。
 また、村上と筆坂が参議院に憲法オンブズマンをおくことを提言し、監視対象としてマスコミをも含めている本末転倒ぶりは立憲主義に対する根本的な無理解をさらけ出していて、思わず投げ出したくなった。

 とはいえ、政治的野心から解放された人たちのお喋りであるから、昨今の政治腐敗に対して毅然とした「正論」も述べられてはいる。元共産党議員の筆坂の本質的な参議院論はそれなりに筋がとおっているし、村上、平野の改革案にも検討に値するものは少なくない。
 たとえば、平野の参議院選挙制度改革論、公営選挙にして選挙運動をテレビと立会い演説だけにせよという主張は、これからの選挙に必須のインターネット利用を抜かしている点はご愛嬌ながら、有権者の実感にも訴えるもので検討に値する。村上の「参議院の候補者は政党の公認、支持を受けるべきではない」という考えも参議院のあり方として、一つの見識を示すものだろう。
 本書の鼎談が行なわれたのは選挙前だが、今回の参議院選挙に関して村上は「抑制の使命を持つ参議院で、野党が過半数を獲得することによって、衆参で与野党の緊張関係を生み出し、成熟した議会政治にしていかなければなりません」と述べている。メディアが参議院での与野党逆転を「衆参の捩れ」として、もっぱら国会運営に支障をきたすという観点から言及しているのに比べ、なるほど成熟した見方ともいえる。

 もとより三人の顔ぶれをみて緻密な政治談義を期待する読者は最初からいないだろう。
 政治的立場の異なる三者が「参議院改革」という主題ならば、思いを共感しあって和気藹藹と議論できてしまうという事実に、これからの政治改革を遂行していくためのヒントが露呈している、というべきかもしれない。
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# by syunpo | 2007-08-08 19:41 | 政治 | Trackback | Comments(0)

私たちの失敗学〜『反省』

●鈴木宗男、佐藤優著『反省 私たちは何故失敗したのか?』/アスコム/2007年6月発行

b0072887_1194971.jpg 「反省」のアイロニカルなタイトルが効いている。
 本書は「国策捜査」によって檻につながれた政治家と元外交官の対談をまとめたものである。対ロ外交で手腕を発揮し、外務省全体に睨みをきかせた政治家・鈴木宗男と、その腹心ともいえる外交官・佐藤優。鈴木は自民党離党後、新党「大地」を立ち上げ、国政に帰り咲き、佐藤は今や論壇の寵児としてあらゆるメディアから引っ張りだこである。
 みずからの振る舞いを「反省」するという姿勢をとりながら、外務省や検察、メディアへの辛辣な批判が繰り出される様は痛快でもあるが、同時にその惨憺たる状況に寒気をも感じてしまう読者は少なくないことだろう。

 二人の体験談は、わが国の外交や行政司法がいかに恣意的にまた自己保身的に動いているかを明快にあぶりだす。
 子宮ガンを患っていた鈴木宗男の女性秘書に対して、病院にまでおしかけて取調べを行ない満足な放射線治療すらもできない状況に追い込んで寿命を縮めてしまった検察の行状には背筋が凍る思いがするし、法廷で嘘八百を並べて同僚を有罪へと導いていった外務官僚たちの言動には、官僚組織の腐敗臭がただよってくるようだ。
 生々しい事件の当事者の弁であるから、すべてを額面どおりに受け取るわけにもいかないだろうが、すでに長期間にわたる拘留を経て、社会的制裁を充分すぎるほどに受けた二人であってみれば、いまさら大きな虚偽を弄さねばならぬ理由も見当たらない。
 ここでは実名入りで、外務官僚たちの私的な趣味も含めてかなり込み入った事実が開陳されていて、もし虚偽ならば甚だしい名誉毀損になると思われる記述も散見されるが、異議申し立てが行なわれたという話もきかないから、やはり「真実」が述べられているのだろう。

 佐藤優の「国策捜査」に関する外務省や裁判のインチキぶりは、すでに『国家の罠』などにおいても詳述されていたので、本書で新たな事実を発見することは少ないが、メディアと外務省の癒着ぶりなどは想像はしていたもののここまで進んでいるのか、とあらためて嘆息せずにはおれない。
 モスクワにやってきた記者たちに大使館の白紙の領収証を渡して小遣い稼ぎをやらせてあげたり、外務省が記者たちに匿名で政局レポートを書かせてそれなりの原稿料を支払い、懐柔していた事実なども明らかにされていて、これでは、メディアが外務省の根本的な不正を暴くことなど出来るはずもなかろうと思い知らされる。

 物足りない部分もないではない。
 たとえば、外務省を再建するための包括的なビジョンは二人が認めているように最後まで説得的に提示されることはない。外務官僚の不正蓄財についても抜本的な組織改革の提言はなされず、海外から帰国した外交官の徹底した税務調査の必要性を佐藤が力説しているくだりなどは、昨今の検察が主張している「事前規制から事後制裁へ」という路線転換と軌を一にするもので、なんとも皮肉な主張になってしまっている。
 また、官僚のモラル低下を嘆くに、鈴木が戦前の官吏服務規律を引き合いに出してくるあたりのセンスにも共鳴しかねる。

 とはいえ、本書において赤裸々に語られている事実は、今日の外交ひいては政治・社会全般を考えるうえで、多くの示唆に満ちていることは否定できない。人々は、極限状態におちいれば、多かれ少なかれ自己保身的に振る舞うものだろう。本書において外務官僚や政治家に差し向けられる言辞は、誰にとっても吟味に値するはずのものである。
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# by syunpo | 2007-08-04 11:16 | 政治 | Trackback | Comments(2)

TBS報道局長の雄叫び〜『テレビニュースは終わらない』

●金平茂紀著『テレビニュースは終わらない』/集英社/2007年7月発行

b0072887_14244538.jpg 現在、TBS報道局長をつとめる金平茂紀によるメディア論である。既存のマスメディアに対する根本的な不信が渦巻く昨今、在京キー局の主流を歩んできた筆者が、いかなる苦悶の肉声を発しているのか、少なからぬ関心をもって本書を手にとった。
 それなりに興味深い事象の紹介は行なわれているものの、残念ながら肝心な点は具体論を欠き、理念的なスローガンばかりが繰り返されるのみで得るものはほとんどなかった。

 金平は、冒頭、以下のように執筆動機を述べている。

 市民の側から、あるいは、アカデミズムから語られるメディア論の少なくない部分が、批判としてはそれ自体意味があっても、それだけではマスメディアは変わらない。……(中略)……最も必要なのは、実際にメディアに関わっている人間たちの意識の変革なのだ。評論家の柄谷行人の言葉遣いを借りれば「内在的」かつ「超出的」にマスメディアを変えていく運動こそが、いま必要なのだと思う。メディアの内側にとどまりながら、現在のシステムを支配している原理を解体すると同時に再構築していくこと。(p6〜7)

 だが、本書を通読してみても、解体・再構築すべき「現在のシステムを支配している原理」とは何なのか、明快に言及されている箇所が見当たらない。もちろん「メディアの無謬性神話」だとか「組織防衛のメカニズム」だとか「金儲け至上主義」といったキーワードらしき言葉がいくつか記されてはいる。だが、それもこれも局所的散発的に論じられているのみで、著者が解体と再構築の必要を叫ぶ、当の原理なのかどうかは判然としない。また、それらの問題点を解体・再構築するための具体的な展望が説得力を伴って提示されているわけでもない。

 著者は、機能不全におちいっているマスメディアのジャーナリズムを「覚醒ー再生」させることは、真の「公共性」を再認識することに等しい、と述べている。同時に「公共性」とは、市場原理にゆだねていけないことがらだとの認識も示されている。
 しかし、現状はどうだろうか。ジャーナリズムの大半を民間企業の形式に負っているわが社会で、著者のいう「公共性」がいかに損なわれているか、著者の属する放送局だけに限ってみても、実例をあげようと思えばいくらでも列挙できる。

 あとがきに記された「放送の可能性はまだ緒についたばかりだ」という著者の認識が、本書の記述のいかなる点から導き出されたものなのか、まったくわからない以上、私はただ脱力感とともに本を閉じるほかなかった。
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# by syunpo | 2007-07-21 22:46 | メディア論 | Trackback | Comments(0)

人間という矛盾〜『大江健三郎 作家自身を語る』

●大江健三郎著『大江健三郎 作家自身を語る』(聞き手・構成=尾崎真理子)/新潮社/2007年5月発行

b0072887_20403571.jpg 本書は、CS放送の番組製作のために行なわれたインタビューをもとにまとめられたものである。聞き手を務めたのは、読売新聞で文芸を担当している尾崎真理子。大江健三郎は、よき愛読者でもある気心の知れた担当記者の心のこもった質問に一つひとつ丁寧に答えていて、あらためて彼の本を手に取りたくなる読者も多いことだろう。

 大江の生い立ちから始まって、進学にまつわる逸話、大江にとって決定的に重要だった伊丹十三兄妹との出会い、恩師渡辺一夫のこと、個々の作品の狙い、背景……などが、おおむね編年体で具体的に語られていく。

 私にとって興味深く感じられたのは、自作に関する解説めいたコメントよりも、同時代を生きてきた海外の小説家との交流などについて熱く語っている部分だ。

 ……小説家の想像力というのは、ある部分つねに非合理で奇怪なものですよ。七十を越えた作家なんて、いつ自分の過去について人を驚かす告白をするか、自他への暴力的なことをしてしまうかまったくわかったものじゃない。(p271)

 グラスが今度の自伝の発表で様ざまに批判されている、ナチスにかかわる少年兵士として生きたことなども、すべてかれが体と精神に担い込んで生きてきたもの、それらの総体が小説家としてのグラス自身であって、それらすべてを含み込んでかれの小説はある、と思います。そしてその点を私は全面的に評価します。私自身、戦争中は軍国主義時代の絶対天皇崇拝の少年ですよ。戦争に行って死ぬことを夢見ていた。それが戦後、民主主義の社会に心から入れ込んでしまう。それこそ右に左にヴァシレーションする。そうやって極端に揺れながら生きてきた自分というものがあって、それはすべて小説家としての自分を構成している。そういう矛盾に満ちた人間として生きて、老年になっているのが私たちの現状。私らの小説をゆっくり読んでくれる読者がいれば、それを理解してもらえるのではないかと思います。“Ecce homo”などという壮大なレヴェルじゃないが、「ここに、やはりこの人間はいた」ということを。(p274〜275)

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# by syunpo | 2007-07-17 20:46 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)

国会閉会の夜に論語の言葉を思いだす

●金谷治訳注『論語』/岩波書店(岩波文庫)/1999年11月発行

b0072887_1430851.jpg 国会が閉会した夜、彼は、二人の大臣が辞し、一人の大臣が自死したことの責任について、繰り返し以下のように述べた。
 「大変、残念なことで任命責任はもちろん私にある」。
 「同時に私には改革、新しい国づくりを進めていく重要な使命がある」。

 子の曰く、其の言にこれ恥じざれば、則ちこれを為すことなし。(巻第七 憲問第十四)
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# by syunpo | 2007-07-05 23:30 | 論語 | Trackback | Comments(0)