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戦争する国にしないための〜『18歳からわかる平和と安全保障のえらび方』

●梶原渉、城秀孝、布施祐仁、真嶋麻子編『18歳からわかる 平和と安全保障のえらび方』/大月書店/2016年1月発行

b0072887_19112982.jpg 武力によらない平和。それをいかに実現していくべきか。本書では、安倍政権が強行採決した戦争法の批判的検討から始め、安倍政権にいたるまでの戦後日本の平和と安全保障のあり方をあらためてふりかえる。そのうえで武力によらない平和構築に向けての構想を提示するという構成である。執筆者は若手の研究者や活動家たち。

 書名からも察せられるとおり入門的な内容で、とくに目新しい視座を提供してくれるものではないけれど、安全保障の問題を考えるうえで押さえておくべき論点はひとおおり解説されている。

 国連によって認定されていることが正当化の大きな根拠になっている集団的自衛権について「国連本来のビジョンとはかけ離れている」ことに論及しているのは真嶋麻子。「国連発足の際に『集団的自衛権』の文言が国連憲章草案に加えられることとなったのは、東西冷戦の始まりが予兆される時代の、連合国間の相互不信を背景としている」という。さらに二〇世紀後半の大国による中小国への軍事介入の多くが、集団的自衛権の行使を理由とした武力の発動だったという指摘も重要だろう。

 また、軍事組織が存在しないことになっている現憲法において「文民」なる用語が使われているのは以前から不思議に思っていたが、三宅裕一郎はその点に関して「芦田修正」をめぐる当時の状況を解説していて興味深く読んだ。極東委員会は「芦田修正によって『自衛』のための実力の保持が可能となり将来的に軍隊が創設されるかもしれない」と懸念し「帝国議会貴族院での審議の大詰めになって、内閣のメンバーは軍人ではない『文民』でなければならないとする文民条項(憲法66条2項)を挿入するよう強く求め」たのだという。

 日米安保条約や日米間の密約については、布施祐仁の論考が本質的な問題点にふれていると思われる。「日米安保条約に基づく在日米軍は日本防衛のために存在しているわけではなく『米国中心の世界秩序の維持存続』を目的とする軍事作戦のために存在している」ことが未だに広く認識されないのはおかしなことだと思う。

 沖縄に米軍基地が過度に集中するようになった背景には、日米両政府が日米安保体制を維持するために、本土では基地を削減し安保の「不可視化」を進めながら、沖縄にその負担を押しつけてきた歴史があるという現代史の基本認識は全国民的に共有しておきたいところだ。

 日米間の密約にはさまざまなものがあるが、裁判権放棄についても密約があることは恥ずかしながら本書で初めて知った。旧行政協定では、日本の当局が米軍関係者を逮捕してもすぐ米軍に引き渡さねばならなかった。現行の地位協定では公務外の犯罪については日本が第一次裁判権を有すると明記されている。しかし、一九五三年の日米合同委員会で「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事例以外」について第一次裁判権を放棄すると日本の代表が表明し、これが非公開議事録として残されたのである。裁判権放棄密約はいまも有効だと考えられる。

「コンフリクトとは、平和紛争学において、人間社会を平和的手段によって転換するための恰好の契機」という奥本京子の論考も示唆に富む。人々の多様性を認め、平和で人権が守られる社会をつくるには、社会の深いところにあるコンフリクト(葛藤・対立・紛争)を顕在化させることだという指摘には納得させられた。対立が表面化することを悪しきことのように考えがちな日本の社会風土を変えていくことが必要ではないだろうか。

「平和と安全保障は、普段生活するなかではなかなか実感できない、縁遠いものかもしれません」と本書の冒頭に記されている。平和や安全が脅かされたときに初めて我々はその価値を実感するのだろう。まがりにも自由に考え行動できるうちに、発言すべきことを発言しやれることをやっておきたいものだ。
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by syunpo | 2017-11-25 19:15 | 国際関係論 | Comments(0)

平和利用と軍事利用の一体性〜『日米〈核〉同盟』

●太田昌克著『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』/岩波書店/2014年8月発行

b0072887_2003237.jpg 日米同盟とは「核の同盟」である。核には軍事利用としての核兵器と平和利用としての原子力発電がある。日本は外形上は前者を自粛し後者のみを推進してきたが、実際には両者は表裏一体のものである。

 本書は、そのような認識に基づき、戦後における日米の同盟関係について核を軸にしてみていく。著者の太田昌克は共同通信で長らくこの問題を追ってきた記者である。

 西側同盟の盟主米国は、冷戦の激化に合わせ世界唯一の戦争被爆国である日本の領土に、核戦力を前線配備しようとした。核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人にいずれ各配備を受け入れさせるために行なったのが「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。(p19)

 核の「平和利用」と「軍事利用」がコインの裏表の関係をなしていること、まさにその原子力の表裏一体性ゆえに、稀にみる核被害国である日本は、米国の思い描く原子力レジームに組み入れられていったのだ。(p19)

 こうして日本の原発は米国から技術導入された。福島で原発事故が発生した時、米国が素早い対応を見せたのも戦後の日米〈核〉同盟の歴史からみれば当然のことであったろう。

 原子力の軍事利用たる核兵器については、米国の「核の傘」を受け入れていった経過を概観しているのだが、安保改定を主導した官僚の一人は非核三原則を「バカな話」とはっきり酷評していたというのには驚かされる。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた「非核三原則の『持ち込ませず』は誤りであったと反省している」と言い切ることがあったらしい。さらに核密約が外務官僚主導で行なわれてきたことを具体的に明らかにしているのも考えさせられる史実である。

 外務次官経験者らの証言からは、もう一つの重大事実が浮かび上がった。それは、事務次官ら外務省の事務方中枢の裁量で政治家に重要情報を伝えるか伝えないかを決める「官僚主導」の密約管理の実態だ。(p71)

 あらゆる情報が政治家に伝達されているわけではないことは民主主義の観点からは大きな問題であるが、大臣がすぐに代わる政治状況のもとでは「危ない人には言わなかったと思う」との官僚レベルでの判断が優先されたらしい。

 米国の「核の傘」のもとで国家としての主体的な判断を停止させている日本の状況について、最後にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』を引いているのは示唆に富む。「日米同盟は『核』という軛につながれた『核の同盟』である」と著者はいう。

 膨大な公文書の読み解きだけでなく関係者への取材を加えることによって本書では戦後の日米関係史がいっそう生々しく描出されることとなった。文献資料のみに頼ってややもすると一本調子の読み物になりがちな学者の論考とは違って、ジャーナリストのフットワークの軽さが活かされた新書といえるだろう。
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by syunpo | 2017-07-31 20:02 | 国際関係論 | Comments(0)

戦後日本外交の舞台裏〜『日米同盟はいかに作られたか』

●吉次公介著『日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点1951-1964』/講談社/2011年9月発行

b0072887_18312845.jpg 戦後の日本外交の基軸は日米関係にある。日米関係はいつしか日米同盟とも呼ばれるようになったが、それは対等なものでないことは誰もが知っている。その基底にあるのは「負担分担」という大義名分であるが、ではその構図はいかに形成され、定着したのか。本書では、日米安保体制の形成から安保改定を経て、池田勇人政権に至る時代に焦点をあてて、この問いに答えようとする。池田政権期は日米安保体制史上において、目立たないが、きわめて重要な岐路であったというのが本書の認識である。

 米国と日米安全保障条約を結んだのは吉田茂政権期である。吉田首相は、日本が十分な軍備を持つまで、日本の防衛を米軍に委ねるつもりであった。他方で米国はアジア戦略上、占領終結後も日本の駐留させたいと考えていた。その意味では「日米の立場は五分五分のところである」と外務省がみなしていたのは卓見である。

 しかし、できあがった安保条約は「五分五分」ではなかった。在日米軍の日本防衛義務が明記されないばかりか、日本が「日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望」し、米国がそれに応じるとの内容になったのである。

 ……吉田茂が大きな問題点を安保条約に内包させてしまったことは、指摘されねばならない。その問題点とは、在日米軍はアメリカが日本に与える“恩恵”であり、日本はそれに見合うアメリカへの「貢献」を求められるという論理構造が、日米安保体制に埋め込まれたことである。(p26)

 真理をついていた外務省の論理が日米交渉で通じなかったのは、日米の力関係とダレス国務省顧問の巧みな交渉術ゆえであったと吉次はみている。

 後任の岸信介首相は吉田の「対米追随」を批判し、対等な日米関係の具現化を目指すことを信条としていた。ゆえに日米安保条約についても対等なものに改定しようとしたのは当然である。新条約で米軍の日本防衛義務が明記されたことは大きな成果であったといえよう。

 しかし国民の間からは大がかりな反対運動がわきおこった。社会党は「日米同盟の強化にほかならない」と批判した。それ以上に国会における岸の強硬姿勢が大きな反発を引き起こす要因の一つとなった。
 また後になって、日米間で事前協議制度に関する密約が取り交わされていたことも明らかになった。事実上、密約のために事前協議制度は形骸化していたのである。そうした意味では新安保の「対等性」は形だけのものだったといえる。

 その後を継いだ池田政権にとっては、安保闘争によって深手を負った日米関係の修復が最大の懸案となったのである。

 池田は所得倍増計画を前面に押し出すなど、国民の関心を政治から経済へとシフトさせたことで一般には知られる。池田政権は「経済の季節」の到来を見事に演出したのだと。
 しかし日米関係の安定化は政権維持のためにも必須の課題であった。その対外政策において「自主独立」問題はすでに後景に退いていた。冷戦構造が顕在化するなかでケネディ大統領のスローガン「イコール・パートナーシップ」と池田の「大国」意識は互いに共鳴しあうものであった。

 かくしてケネディ政権は防衛面での「負担分担」を強く求めるようになる。自衛隊の兵力増強など米国は日本に対して軍備の拡充をいっそう強く求めてきたのである。池田はそれをそのまま受け入れたわけではないが、結果的には米国の要求に沿うような形で政策を決定していったことは否めない。岸政権下で取り交わされた核密約に関しても、大平外相とともに密約の確認を行ない、それを明確に拒否することはなかった。

 さらに重要なのは、池田政権はアジア諸国とも積極的な外交を展開して対外援助につとめたことである。日本はアジア各国との関係において、自由主義陣営の大国として振る舞うことで存在感を示そうとした。米国は日本の防衛政策に満足することはなかったが、日本側はアジアへの対外援助によって「負担分担」をアピールしたのである。

 ……一九五〇年代の日本外交にとって、「敗戦国・被占領国」の残像を払拭し、対米「対等」や「独立の完成」を実現させることが急務であり、再軍備や対外援助はそのための手段と位置づけられていた。それに対して池田政権の対外政策は、アメリカの「イコール・パートナー」である「自由主義陣営の有力な一員」となった以上、それに相応しい「負担」を分担すべきとの論理に立脚していた。池田政権の「大国」志向と日本の経済成長、そしてアジア冷戦の激化とアメリカの苦境により、日米安保の「負担分担」の構図は新たな段階を迎えたといえる。(p191)

 以上みてきたように、本書の考察には教えられるところが多かったけれど、引っかかるところもなくはない。オフィシャルな外交文書などに典拠してもっぱら政権中枢の言動を描出しているため、政権サイドに立った書きぶりにはやや違和感を覚えた。たとえば池田へのメディアからの酷評を「揶揄」といったり、社会党の質問を「レトリック」と決めつける表現などだ。

 また、当時の考えられる選択肢を指摘し、そのなかで政権の選択した政策を吟味するいう記述にこそ歴史を学ぶ面白味があると思うのだが、本書の書きぶりにはそうした歴史への想像力を喚起させる力にも乏しいような気がした。

 むろん、そうした点を差し引いても本書が戦後の日米関係を学ぶに有益な本であることは間違いない。これからの日本のあり方を考える場合、日米関係を抜きにすることはできない。その意味では今日につながる日米同盟の舞台裏を知っておくことは意義深いことであるだろう。
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by syunpo | 2017-07-15 18:36 | 歴史 | Comments(0)

〈永続敗戦〉の実相〜『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

●矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』/集英社インターナショナル/2014年10月発行

b0072887_227090.jpg 白井聡のいう「永続敗戦」の実態を米軍基地と原子力発電という二つの具体的事例にそくして概説した書物。本書はとりあえずそのように要約することができるだろう。さらに付け加えるなら、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』を地で行くような史実を現代史研究の成果を踏まえながら記述した、ともいえようか。白井やボエシの提起した認識が思弁ではなく国際法や公文書、歴史的文献を精読する作業をベースして跡づけられていくというわけである。

 当然、憲法をめぐるこれまでの二項対立的な図式は完膚なきまでに無効を宣せられる。すなわち、憲法を押しつけられたといいつつ米国従属をより強化する方向でしか改憲を考えない勢力と九条に指一本ふれてはいけないと主張する護憲勢力との対立の構図そのものが解体されるのである。

 オモテの憲法をどう変えても変えなくても、その上位にある安保法体系、密約法体系との関係を修正しないかぎり、日本の真の意味での主権回復はない。著者はそのようにいう。

 重要なのは「安保村」の歴史と構造を知り、一九四五年の時点にもどったつもりで、もう一度周辺諸国との関係改善をやり直すこと。そして米軍基地と憲法九条二項、国連憲章「敵国条項」の問題を、ひとつの問題としてとらえ、同時に解決できるような状況をつくりだすこと。(p278〜279)

 論旨も結論も明快である。しかし、いやそれゆえに、言うは易く行なうは難し、の古諺を思い出さずにはいられない。
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by syunpo | 2015-09-06 22:12 | 政治 | Comments(0)

国家の「情報犯罪」〜『沖縄密約』

●西山太吉著『沖縄密約ー「情報犯罪」と日米同盟』/岩波書店/2007年5月発行

b0072887_18292013.jpg 米軍在沖縄海兵隊のグアム移転に関して、膨大な費用の半分以上を日本が負担する立法措置については、批判的な声が多い。日本政府は、何故にそこまで米軍の世界戦略の片棒を担がねばならないのか。日本政府の主体性を欠いた米国追随をどのように理解すればよいのか。

 その問題を考えるうえで、本書の内容は極めて示唆に富むものだ。

 時を遡ること三〇余年。
 一九七二年に実現した沖縄施政権返還をめぐり、日米政府間でいくつかの密約が取り交わされた。公表された沖縄返還協定の文言とは異なり、米軍用地復元補償費四〇〇万ドルを日本が負担することなどが秘密裏に決められていたのだ。その密約の一部をスッパ抜いた毎日新聞記者(当時)の西山太吉は、直後から日本政府の強力な反撃を受け、国家公務員法違反容疑で逮捕されて法廷に立たされる。情報入手の方法などスキャンダラスな事実が意図的に流布されたこともあって、あろうことか、他のメディアや国民はもっぱら西山に対して批判的な視線を注いだのだった。その裁判で有罪が確定し、西山はその後、長い沈黙を強いられる。

 しかし、二〇〇〇年以降、米国の国立公文書館保管文書の秘密指定解除措置により、密約の存在を裏付ける資料が相次いで公表されると、密約の日本側当事者だった元外務省アメリカ局長の吉野文六もまた密約のあったことを「告白」するに至った。
 それでもなお、密約の存在を否定し続ける日本政府に対して、西山は謝罪と損害賠償を求めて提訴。今年三月、東京地裁は密約の有無の判断に踏み込むことなく、請求を棄却したことは記憶に新しい。
 法廷闘争は今後も続くことになりそうだが、西山は、あらためて内外の資料にあたって日米交渉の全体像をここに書き記すこととなった。本書は、まさに日本外交の汚点ともいえる沖縄返還交渉の舞台裏を総括したジャーナリスト西山の集大成ともいえるものであろう。

 本書によれば、沖縄の施政権返還交渉は最初から秘密交渉としてスタートしたことが明快に記されている。
 「沖縄の無償返還」「格抜き本土並み」にこだわり、それを国民に公言した佐藤政権が現実の交渉の難しさに直面して、泥沼に足をとられるようにして秘密交渉に入っていく。密約に至る政治的背景の描写は、充分に説得的である。

 密約によって合意された「基地施設改善費」の日本側負担は、明らかに日米地位協定の変質を意味するものであった。それほどの重要な問題が国民に明らかにされず、すべて秘密裏に行なわれたのである。そして、それがその後の日米安保の基調となってしまう。

 この費用は、協定発効(一九七二年)後、五年間というものは、防衛関係予算の中にもぐって支出されたが、果たしてその五年間が終了した後、一九七八年度から頭をもたげ、公式に在日米軍駐留経費(いわゆる“思いやり”予算)として予算要求されるようになる。(p102)

 沖縄返還交渉によって定着した秘密主義や日本政府の無原則な譲歩が、結果的に日米交渉の悪しき原点となり、以後の日本外交の弱体性を決定づけてしまったということが、本書をとおして浮き彫りにされるのだ。

 また密約の存在が誰の目にも明らかになった現在においても、珍妙な理屈で否定発言を繰り返す外務省・政府関係者の言い分をみていると、わが社会の「民主主義」がいかに低水準のものであるか、あらためて痛感させられる。

 西山の批判の矛先は、当然ながら、マスメディアや国民にも向けられる。
 政府のこのような「情報犯罪」を許してしまったのは、メディアの政権監視の弱さであり、国民の外交・安全保障に対する関心の低さなのである、と。

 二一世紀の日本の安全保障をいかに構想すべきか。日本外交をいかに立て直していくべきか。さらには、国民の「知る権利」の大切さを私たちは充分に認識し行使しようとしているのだろうか。そうした問題に少しでも関心のある者ならば、本書から得られることは多々あるに違いない。
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by syunpo | 2007-06-06 20:47 | 政治 | Comments(0)